2種類の貯蓄とビットコイン

uhiroid
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ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスの『ヒューマン・アクション』によれば、貯蓄は2種類あるという。通常的貯蓄と資本家的貯蓄である。

通常的貯蓄は、将来の消費のための貯蓄を指す。それは、後日消費するために貯めておき、最終的にはすべて消費される。一般的に「貯金」と呼ばれているのはこちらの貯蓄である。

一方、資本家的貯蓄は、生産力の改善を目的としている。それは、文字通り資本財を貯蓄するのであって、生産量の増加や、今まで作れなかった物を生産することを可能にする。

さて、ビットコインに対するよくある批判のひとつに、「ビットコインは何も生み出さない」というものがある。この批判は、上記の貯蓄の区別を念頭に置くと、「ビットコインは通常的貯蓄であって、資本そのものは増やさない」という意味だと解釈できる。

これ自体はそのとおり。ビットコインを購入することは、投資というよりも貯金である。価格が値上がりするのは、ビットコインが直接なにかを生み出しているわけではなく、政府や中央銀行が信頼を失い、法定通貨の価値が毀損され続けているからだ。

ただし、こうした批判者たちは重要なことを忘れている。それは、経済活動を行ううえで、貨幣は絶対に必要だということである。

貨幣がない経済は物々交換しか方法はないが、物々交換は、いちいち相手を信用できるか審査しなければならず、しかも、相手との価値基準が一致しているかどうかも、その都度、すり合わせをしなければならない。物々交換の経済は極めて非効率であり、その規模はとてつもなく狭くならざるを得ない。

一方、貨幣が存在する経済では、貨幣を経済計算の単位として使用することで、上記の問題点を簡単に解決できる。世界の経済が、今日のように巨大な広がりを見せたのは、まさしく貨幣があったおかげである。

そして、貨幣は、なんでもいいというわけではない。定義上は、間接交換に用いられる媒体はなんでも貨幣になりうるが、それは、すべての貨幣が等しい価値を持っていることを意味しない。

歴史が証明しているように、簡単に供給が増やせる貨幣は、ほかの貨幣との市場競争で敗北してきた。かつては貨幣として使われていた貝殻やビーズ等が、今日ではもはや貨幣として使われていないのは、このためである。

現在の世界では米ドルが基軸通貨として扱われているが、これは市場競争の結果ではない。それ以前の覇者であった金(ゴールド)が、実在する金属という弱点を持っていたために、政治の力で封じられてしまったのが原因である。

そして、米ドルもまた、「簡単に供給が増やせる貨幣」に特有の欠陥を持っている。いくら政治力で強制しても、欠陥そのものが消えるわけではない。貨幣は、総供給量が増えると、1単位あたりの価値が下がる。これが物価の高騰などの問題を引き起こす。

一方、ビットコインは、総供給量の変更がもはや不可能ともいえる段階まで成長したため、上記の問題は起こらない可能性が極めて高い。また、分散性の仕組みにより世界中で禁止することも困難である。よって、必然的に、ビットコインと米ドル間で市場競争が発生する。

ビットコインに限らず、米ドルも含め、貨幣それ自体は、なにも生み出さない。しかし、どんな投資家であっても、自分の資産の価値は貨幣で計らざるを得ない。どんな人間も、消費をせずに生きることはできない。あなたは、通常的貯蓄のための貨幣を選ばなくてはならない。

今、我々が問われているのは、「どこに投資するか?」ということよりも、「どの貨幣を選ぶか?」ということなのである。

@uhiroid
人生は哀なり。