価値が客観的に実在するとはどういうことか?
価値が主観的に実在する、ということは理解しやすい。価値の主観的実在とは、ポジティブな心理的状態が生じることだからである。では、価値の客観的実在を、複数の主体に対して同時にポジティブな心理的状態が生じることだと言い換えてよいだろうか?
ところで、「他者が心を有するのかどうか」という問題に対して、直ちに明確な答えを与えることはできない(存在論的独我論)。そして、仮に他者が心を有するということが確かだとしても、定義上、私は他者の心の内側を覗き込むことはできない(心理的独我論)。それゆえ、少なくとも私は、他者の心理的状態がポジティブなものであるかどうか、確証することができない。このことは、私が、価値の客観的実在を確証することができない、ということを意味するのではなかろうか。
とはいえ、価値が客観的には実在しないという主張は、直感に反する。例えば貨幣の価値。我々は、貨幣が客観的な価値を有するということを確かなことだと考えている。しかしすでに述べたように、価値の客観的実在性の根拠を、他者の心理的承認のうちに求めることはできない。つまり我々は、価値の客観的実在性の根拠を、何らかの他のもの——例えば行為や主観的な信頼——のうちに求めねばならない。