2023年11月の日記

うかろに日記
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2023/11/30

●昼間、すてきな印刷所にでかけて輪転機がワンワンまわるのを見てぶちあがる。かれらはまるでピアノを引くみたいに操作盤に指をあてて四色印刷の出力を調整し、その魔法で印刷物がさあっと鮮やかになる。お腹がぺこぺこになり、思い切って恐怖のコメダ珈琲に出向き、グラタンをたべる。コメダ珈琲はこのあいだ初めて行って、とんでもなく恐ろしい(量の食事が出てくる)場所だと理解していたのだけど、グラタンはそんなに多くなかった。●夜、岡真理『彼女の「正しい」名前とは何か』読書会をして知らなかったことをたくさん知る。第三世界フェミニズム。この本に書かれていることの主張の大筋は(およそ20年前の議論であることもあり)なめらかに受け止められるものだったけれど、検討されている作品の固有名だとか、あるいはほかの参加者に教えていただいた知らない文献のあれこれで頭がいっぱいになる。すごく勉強になったんだけれど、結局、「蟹の虚ろなまなざし、あるいはフライデイの旋回」の註で、カニとすっぽんの数奇なる入れ違いについて書かれていたことが忘れられない…! なんで!?●いわく「本稿は、『現代思想』のジジェク特集(一九九六年一二月号)に向けて書かれた論文がもとになっている。ジジェクは「快楽の転移」で、シチューの具として鍋で茹でられている小動物が、少年をして母の殺害に駆り立てるという、パトリシア・ハイスミスの短篇について論じており、この小動物の虚ろなまなざしが、ジジェクと拙論の交点になっている。しかしながらこの小動物は、ハイスミスの原作においても、また、ジジェクの作品においても、「蟹」ではなく「すっぽん」である。拙論を書くにあたって、すっぽんがいったいどういうわけで蟹に変容してしまったのか、今もって謎である。」●日本語世界ではついつい蟹に擬態してしまう多言語世界のさすらいのすっぽんみたいなものを思い浮かべてニヤニヤしてしまう。

2023/11/29

●夕方、神保町まで大急ぎで出向き、実効ガラ「プレイの(文)体を練習する」再々演。『遊戯体練習法』の法=ルールを無数に同時適用していくことで、今回もなんだかものすごい状況になった。回想録と反実仮想Aまではまだ意味がわかるけど、回想録と反実仮想Bの組み合わせはうまい言い回しがまだよくわからない。実効ガラは明日でおわる(といっても、明日は《カードゲーム》のプレイ禁止らしい。プレイできないのに会場…?)。●わたしが来場できるのは最後だったので、実効ガラのグッズをながめていると(どれも展覧会の標語がでかでかと書いてある呪わしいグッズなのだけど…)大岩さんがあれこれ言ってグッズに呪い成分を追加してくれる。結局「呪文で呪文をつくる」といういちばん呪わしい標語の書かれたコースターを買ってしまった。愚かだ! ただこの標語は汎用性がたかすぎるあまり呪いとしての純度は低めかもしれない。極論すれば日常生活の言語活動の多くが(この文章もまた)呪いなのだし。「分散型自律展覧会」「トランプの再発明に立ち会う」とかが書かれているコースターよりぜんぜんましである。

2023/11/28

●昼間、ある博論審査会を聴講する。●(さいきん、一日でいちばん頭の働かないタイミングで日記を書いているから、日記の内容がへなへなになっている。秋という季節は、文芸関係者にとっていささか厳しすぎるのではないか。文化の秋といっても限度があるでしょう。ありとあらゆることが11月に行われている!)●昨晩、松岡正剛氏と松田行正氏のYouTubeを(やることが終わらないなあ〜、とうじうじながら)見ていた。小口をずらしたときに見えるイメージの印刷は、特別な印刷手法をつかっているのではなく、画像を縦に細くちぎったものを1枚ずつページ上にデザインしているだけらしい。なんということ…! それにしても松岡正剛氏とは役者だなと、映像を見るにつけて思う。その流れで、イシス編集学校のWebサイトで「編集力チェック」をたわむれに行ってみたところ、なんと自動判定ではなくて数日後にスタッフの方が返信くださるらしいと知り、もっと熟考して送ればよかったと思った(本当に個別返信?といまでも半信半疑でいるけれど)。●人気のないスーパーマーケットにいくと膨大な量の安売りのキノコが売られている。秋かも、と思ったけれど、でもキノコなんてすべて工場栽培にきまっているから季節は関係ないだろう。アロエが魅力的であるのと同様に、きのこはおおむね魅力的。●あなたがきのこになるならわたしはアロエになろう。きのこになるとは、果てしのない全体性のなかに匿名のわたしを埋没させることにほかならない。そのことの寂しさに、われわれは耐えることができるだろうか? 名前をなくすことができるのは本当に強い人だけだとわたしは知っている。名前をよびあうのは弱さをいたわりあうことだ。●ところで名前といえば、澁澤龍彦のふたりめの妻の名が澁澤龍子であることは以前から知っていたけれど、「たつこ」ではなく「りゅうこ」と読むのだということはわりと最近まで明示的に知らなかった。てっきりふたりはタツタツコンビなのだと思っていたけれど、さすがにそんなユーモラスな偶然はなかったか。それにしても、マリさんがミズタさんやオダさんと結婚できないように、もし彼女がタツコであれば、タツコさんはタツヒコさんと結婚できない、ということが起きえたのだろうか(なんという愚かな問い!)。だからというわけではもちろんないが、一般論として、姓のかわらない結婚が国内でリーガルに祝福される日が可及的すみやかにくればよい。

2023/11/27

●前の晩、ある目的のもと行っている読書会で、「グロテスクな舞踏会」の出てくる短編小説をいくつか読んだ。そんな奇妙なモチーフでも数えてみれば3つ4つと集めていくことができるから、ふしぎ。ふしぎというか、わたしの読書傾向がそのようなコレクションを可能にしているということだろうとは思いつつ。●おなかが空くのが苦手だから、なるべくお腹の空くことがないように常日頃から気をつけているのだけど(決定的にお腹がすくまえにすかさず少しでもなにか口にいれるのがだいじ)、ばたばたしていると気づいたときには(わたし基準では)鼻持ちならないほどお腹が空いている。わたしはきわめて不快になり、腹部をつきぬける底なしのヴォイドを呪い、頭の働きを駄々っ子のように停止させる。そのあとしばらくのあいだ、ごはんをつくるための支度だとか飲食店にでかける準備をすることなどとてもできない。「羽化とマカロニ」を前からご存知の方にはお察しいただけるように、羽化のためにはマカロニが必要、つまり天上へとむかうためにはまず卑近な身体の欲望がそこそこ満たされていなくてはならないのです。そこそこでかまわないはずなのだけど。●Tokyo Art Book Fairではマーク・マンダースの美しいZINEと、それに印刷屋さんが投げ売りしていた紙のセットを買い求めた。後者は、藍とブルーとシルバーの紙と白い羊皮紙風の紙が電話帳のようにたっぷりと糊でとじられたもの。はがしてメモにつかってもいいし、なにかを刷ったり書いたりしてべつの本に仕立ててもよい。

2023/11/26

●東京都現代美術館のTABF (Tokyo Art Book Fair) へ。連日たいへん混み合っているようだったので、わたしにしてはやや早めに家を出る。この冬いちばんの寒さであったらしいことに、家を出たあとに気づく。マフラーをしてくればよかった。●TABFには以前にも行ったことがあるけれど、ちょうど最近手製本の作品をいくつか作ったからか、ぎっしりと陳列された製本の技術がいちいち眩しく思われ、すっかり楽しんだ。ごく少部数の印刷物たちの、自由な技巧の見本市。●印刷工場でつくる本の技術は、大量生産や読みやすさのためにある程度体系化されているけれど(その技術を見知ることもけっこう愉しいのたが)、手製本の技術は本の機能だけを前提にしているから、有象無象の可能性にみちている。●本の機能とは、平面に情報の刷られたものをなるべくコンパクトにして持ち運べるようにすること。具体的には、平面を綴じること、折ること、つつむこと。これにくわえて、ずらすこと、切ること、巻くこと、透けさすこと、穴を開けること、よごすこと、跡をつけること、やぶくこと、などなど、副次的なデザインもある。●綴じる技術として一般的にはかがり(糸でのかがり)、あじろ(糊での接着)、中綴じ、コデックス装などがあるけれど、耐久性を考慮しないのであれば綴じる方法は無数にある。同じ中綴じでも、ホチキスの針どめにするのか、なにかよく目立つ糸をつかうのか。ミシンで細かく縫うのか、手縫いでざっくり糸を通すのか。縫った糸は切るのか、外に垂らすのか。真ん中をちいさなクリップでとめるだけでも綴じられるし、半分に折った紙の真ん中に大きめの輪ゴムをかけても綴じられる。安全ピンでとめることもできる。ノートのようなリング綴じもできるし、単語帳のように1つのリングでつないでも、ハトメを突き刺してとめることもでき、こういった方法だと紙は前後あるいは上下にクルクル回転できる。単に面を貼ることで綴じ(?)られるものもある。ハトメは部分的にもちいて可動性のたかい部品をつくるのにもつかえる。●そもそも何を綴じるのか、多くの場合は紙。布を綴じてもいいし、ビニールでもいい。およそ薄いものであればなんでも綴じられる。●あるいはどこを綴じるのか。ふつうは右開きか左開きを想定し、本の背にあたる部分で綴じるけれど、上や下で綴じてもいい。左右の両側を綴じて真ん中から開けるようにしてもいいし、左右片側を綴じたあと本の全体を折りたたみ、綴じとは別の部分を背にしてもいい。●折ること。わりと大きな紙も四つ折りくらいにすれば本のサイズになり、それを綴じ込むことができる。折りと接着をくりかえしてジャバラにすることで、綴じなくても本のまとまりをつくることができる。2〜3回の折りで16ページがあらわれ、小口を切断するのが普通の本の作り方だけれど、うまく切り込みを入れておけば小口を切らずとも冊子の状態をつくることができる。あるいは2回折りたたむことで作った折りをあえて小口を切らないままにして綴じれば、紙の裏を内側にのこしつつ表を本にすることができ、この方法だと魅力的な裏紙をつかった本がつくれる。マーク・マンダースのZINEがこの方法でつくられていて美しかった。綴じるとき、おかしな折り方をしたものを含めてもよい。たとえば封筒のように折られたものを綴じる。●つつむこと。表紙、カバー、あるいは箱が本をつつんで丈夫にする。さまざまな袋も同じ役割を果たし、ひとつの箱や袋に複数の冊子をいれることもできる。カバーが本体に密着してなくともよいし、大きすぎても小さすぎてもよい。雁垂れ製本の袖の部分を外側にまわし、鞄のふたのように閉めることもできる。●そういえばスピン(しおりのひも)で変わった見た目をしたものはあまり見なかった。そもそもアートブックはテキストが少ないので、しおりの機能を必要としていないのかもしれない。

@ukaroni
羽化とマカロニ。本、映画、展示のこと…(彼女は、まるで足に小さな翼を持っているように歩いた)