2024/01/15
●諏訪哲史『紋章と時間』読みはじめ。いままできちんと読んだことのなかったことが不思議なくらいなめらかに入ってくる文章たち。●種村季弘的なるもの…もう少しそれを押し広げて、マニエリスム的なるもの?(いつも「こういう」分野をなんと呼べばいいのかよくわからなくなるのだけど)は、瀧口修造につづいて澁澤龍彦/種村季弘/巖谷國士、高山宏、松岡正剛、といった拡がりがまずはざっくりとあったようか気がして、これはもちろん極めて男性的な地下活動なのだけど、その先にあるマニエリスム受容は思ったほどマスキュリンじゃないような気がしている。ダーク・アカデミアというInstagramの「エステティック」に対置されるものとして「ライト・アカデミア」というのがあるらしいけれど、似たような感じで…博物学的なフェチズムが悪魔よりも天使のほうへ近づき、暗黒ではなく崇高を、一方で複雑さを失わないままに、しかし寂しく。わたしのなかでそのイメージのもうひとつの源流はは内藤礼にあると思う。そしてそのような感性を引きついだ30代くらいの比較的若い表現者たちが確かに、存在している。
2024/01/14
●変体仮名には合字というものがあって(合略仮名)、「かしこ」を1文字にまとめることができたりするらしい。変体仮名のうち286字はUnicode登録されていて、フォントによっては使えるらしいけれど、ざっとみたところ「かしこ」は含まれていないようだった。●はじめて本格的なお茶室にお邪魔した。香りから器から調度品までなにもかもがとことん素敵な〈茶番〉。着物を着込んだS氏が「お加減はいかがでしょうか」とわたしに問う、「大変結構でございます」とわたしはすまし顔で答える。●「光る君へ」の初回放送をオンデマンドで見る。身分は低いがやたらと言語能力ばかり高くて頭の良い女の子、というペルソナはわたしにはけっこう強烈である。マグルだが頭のいいハーマイオニー、と同じ。大河ドラマで感情移入したことなど一度もなかったので、たしかにこういうのをエンパワリングな物語だと言わざるを得ないだろう…べつにわたし個人としてはエンパワーされるために物語を求めているわけはない、にしても。わたしは地方出身元東大女子(なんという不名誉な属性!)なので、この情動はなさけなくともさすがに許されてほしい。
2024/01/13
●胃腸炎がいまいち治らない。●パン屋に行こうと思って道を間違い、代わりに着いてしまった近所のお寺を散策し、拝観する(初詣)。境内もお堂もびっくりするほど広くて綺麗にしてあり、たくさんの巨きな仏像があり、ちょっと見物するだけでもかなり楽しかった。神社はなんとなくナショナリズムと結びついたのっぺりとした規範性を感じるので苦手だけど、お寺(仏教)はなんとなく論理的で哲学的で、国際的なイメージがあり、好き(きわめて雑な理解)。おみくじを引くと大吉「躍」、ちいさなかわいい達磨のお守りが入っている。●帰りにコンビニで新聞を買い、Twitterの代わりに読む。新聞は短文をよみたい欲望をみたしてくれるし、スマホよりもインターフェースがいい(当たり前!)。180円。毎日でも案外読めるのかもと思ったけど(すでに新聞1冊分と同量かそれ以上の時間SNSを見ていると思うので)、とりあえず週末だけ新聞を買うことにしようかな。
2024/01/12
●一日わりと元気に過ごし、夜にめちゃくちゃこわいホラー映画「トーク・トゥー・ミー」を見てきゃあきゃあ言い、深夜に胃腸炎の症状が再発してもだえながら過ごす。この時間差はなんだったのか…。●「トーク・トゥー・ミー」はふつうにめちゃくちゃこわかった。お話に犬はあんまり関係ないんだけど、狂犬病的な表象——うなり声、興奮、狂乱、攻撃性——が効いていて、可愛くてびびりの男の子が突然霊に取り憑かれて豹変し、顔面を家具に叩きつけて破壊する様が本当におそろしい。ケルベロス系の恐怖。お話や細かな因果関係はちょっと辻褄があわなかったり理解しづらいところがあったような気がするけれど、怖かったのでこちらの理解力もかぎりなく低減しており、よくわからない。
2024/01/11
●吐き気は治ったが、食欲がなく、なんとなくだるい。家で淡々と仕事をする。夜はねぎや生姜を大量にまぜた薬膳風のスープ。●阿部卓也『杉浦康平と写植の時代』を読む。とても面白い(表紙の印刷も非常に格好良い)。写植は、わたしが生まれた時期とほぼ同時に姿を消してDTPに取って代わられた技術なので、これまでその技術概要(活字でもデジタルでもない、光学技術によった組版の方法)をまったく知らなかった。恥ずかしながら、活字とDTPのあいだをつなぐロストテクノロジーであるというような薄ぼんやりした理解でしかなかったのだけどそれは大きな間違いで、それはまぎれもなく60年代以降の日本の出版業の最盛期を支えた爛熟した技術であり、だからこそいまの組版の技術や慣行に当然ながら多大な影響をのこしている(たとえば組版の実務でもちいる歯送り・級数(メートル法に準じる)は、フィート基準のポイント、或いは日本独自の単位であった号とは別に、このとき新しく導入された)。●最近はデニス・ダンカン『索引』も読んだりしていて、わたしにとっては所与である書物の諸技術の由来を明るみに出すのが楽しい。いま商業流通している本の9割5分は(商品としての品質という基準において)申し分なくデザインされているとわたしは思うけれど(書物の内在的な論理に準じたデザインとしての良し悪しは別の問題だが)、それはこれまで出版された無数のすぐれたデザインが新しいデザインに匿名的に力を与えているからだろう。すぐれたデザインとは必ずしも独創的なものばかりではない、という当然のことを以前よりしみじみと感じる。たぶんこれはデザインだけじゃなくて、芸術/文学でも同じこと。●でも、書物の内容、テクストについての技術が昔より充実しているとは思わない。昔より(少なくも組版前の状態では)校正ソフトなどは取り入れやすくなっているはずだけど、新刊の誤字はいとも簡単に見つかる(尤も、長く読まれる本は重版の過程でそれが排除されているから新刊の誤字が相対的に多いというのもあるだろうし、ぜんぜん本質的な問題じゃない。それに漢字の変換は人でも混乱するくらいだからコンピュータには無理だろう)。まあ、誤字なんて、あばたもえくぼみたいなものであり、テクストの質はもちろん、誤字の数で測られるものではなく…(だとしたらいったい!)。●杉浦康平のデザインはたいへんかっこいいし他者の作品としてソリッドで素敵だが、わたしのパーソナリティに合うかというとそうでもない、ということを、そのデザインの論理や変遷を知るほどに一人で納得していく。
2024/01/10
●朝からなんとなく胃の調子が変だなと思っていたら、お昼があまり食べられず、食べたあとに戻してしまう。しょんぼりしながら家に帰ることにし、帰路でまた戻す。吐き気やえずきはあまりなく、とにかく食べものがざあざあと逆流して撒き散らされる。あんまり怠くないのが却って不安なのだけど、いったい何の症状なのか。。●古いものをけっこう平気でたべてしまうので食中毒かなと思ったけれど、おかしいのは胃だけなので胃炎なのかもしれない。そういえば朝にコーヒーしか飲まずにでかけたけど(それはよくあることだけど、というか長年のカフェイン中毒なので飲まずにはいられない)、空きっ腹にカフェインの習慣がおなかに悪いのかもしれない。最近は(連休だったので)悠々と過ごしていたから、ストレスが原因だとは思えない。●夜、ふつうにだるくなってくる。ノロウイルスかな…。
2024/01/09
●崇高とは、理解の失敗とそれによる逆説的な快楽、そして自分自身の安全、といったような要件によってもたらされるのであるとすると(粗雑なカント理解)、環境破壊という間延びした(いまのところ安全な)恐怖によって強化された自然崇拝はより一層強固なものになりえるのだと理解できるのかもしれない。間延びした恐怖は、経済的には短期利得に対して影響を与えないという点で無力だが(長期利得を勘案できない経済的誤謬)、崇高の感覚の成立においては必須要件ではないか(危機がほんとうに目前に迫っているときに畏敬の念は起きない)。自然は人類の叡智によって保全されるものというより、静かだが取り返しのつかない怒りを表明している、と考えるほうが、一見スピリチュアルであるかのように見えて、じつはかなり合理的なのではないか。平たく言えば、人類の理性などあってないようなものだから、それに立脚した環境問題理解なんてすべてが偽善ということになるのではないか。わたしたちは自然を信じ、畏れればよい、それが結局のところ限定された理性において環境問題とつきあうよりもまともな結果をもたらすのだとしたら。●宮台真司氏が20歳の女性とラブホテルに行っていたというスキャンダル?報道があり、不倫という痴話喧嘩以上でも以下でもないものが、それより遥かに悪質である性暴力やセクハラなんかよりも圧倒的に過剰に注目をあつめることへの不快感がつのる。相手がものすごく若いので、グルーミングやアカハラがなかったかはもちろん監視されるべきだけど。●宮台氏の性愛観は化石のように古代的でまるで話にならないと思うけれど、それとこれとはやっぱり別の話で、個人的な恋愛関係に外野が一喜一憂することは品がない。高齢男性に対するエイジズムと若い女性を対象にしたミソジニーの、卑劣さ。
2024/01/08
●部屋のなかでわりと高額の現金を紛失してしまい、ついに観念してデスクのうえの本と書類の山をかたづけはじめる。半分くらい山を解体したところで、山とは関係ないところから探しものがでてくる。●森美術館開館20周年記念展「私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために」を見た。エコロジカルな配慮が人間の経済的利益のために重要なのはそうなのだけど、それ以前に自然への憧憬は、ロマン主義のもっとも中心的な原動力であった、ということを思いながら(つまりエコロジーの展示の大部分は、ロマン主義の現代的な再来であるのだと思う。それはぜんぜん悪いことではない)。アピチャッポンの蟲だらけの映像を、床にじかに座ってじっと見る。森美術館はどこにいても、そこが決して地上じゃないことを間断なく思い出させる不安感をまとっている。●「MAMコレクション017:さわひらき」もよかった。うすぐらい箱庭。とくにサウンドが、よかった。●きょうは成人の日であるのだという。自分の成人式のときにはイギリス留学でのサバイバルをはじめたばかりで、式の存在をすっかりわすれていた、ということを人に話す機会はほとんどない。成人式に行ったことがないのにあれこれいうのもなんだけれど、同窓会と同じで、基本的には過去へのベクトルにつらぬかれた、子ども/青春時代をなつかしむ行事として実質的に機能しているのではないかという気がして、こそばゆい。
How can we know the dancer from dance? ——William Butler Yeats
2024/01/07
●ひらたくてふわふわのパンを焼く。部屋を片付け、新しいささやかな家具を注文する。わたしの部屋は、もともとなんとなくアアルトのサナトリウムのような場所にしたいと思っていたのだけれど、結局本が増えすぎてよく分からない感じになっている。しかしまだやりようはあるはずだ…。●シズル感のある食べものは苦手だが、パンはいつでも聖なるものだという感じがするから、いい。
2024/01/06
●ダンスホールで朝食をたべる。●みなとみらいの岸辺で、重要文化財である貨客船・氷川丸を見学する。視覚的にも、歴史的にも、使われる言葉も、かなり面白い。火夫なんて言葉、西脇順三郎でしか目にしたことがなかった。外来語に対応する訳語を無理にでもつくることはたいへん重要なことで、明治期の言葉の諸発明は豊かであった。いまでは片仮名の宛て字ばかり…。●文字といえば、杉浦康平『文字の靈力』を読んでいて、漢字のかたちの必然性に関わる解像度(とりわけ呪符としてのそれについて)がぐんとあがる。漢字は単なるイコンとしての記号性をこえた複雑な規則をひめている。しかし知れば知るほどに漢字というものの凄みに感心する一方で、やはり漢字にみちた靈力の高い文章は自分には似合わぬのではという確信に至りもする。或いは、そのような呪術性に立脚しない異端の漢字の佇まいを見てとるべきかもしれないとか。●用賀駅の中華料理屋で、かなりおいしい点心をたべる。砧公園を横切り、世田谷美術館で、「倉俣史朗のデザイン ―記憶のなかの小宇宙」展、「ミュージアム コレクションⅢ 美術家たちの沿線物語 京王線・井の頭線篇」展を見る。前者はもちろん素晴らしく、そして後者も、元井の頭沿線住人であるゆえかなり楽しかった(元バイト先だった小劇場、旧キッド・アイラック・(アート・)ホールについての記述もあった)。2020年の田園都市線・世田谷線篇、2022年の大井町線・目黒線・東横線篇につづく企画であったそうで、東横線沿線も気になる。●気づけば東京での生活の大部分を世田谷区民として過ごしているのだから、ややアクセスはわるいけれども世田谷美術館はなるべく出かけたほうが地元住民として楽しいのかもしれない。都現美が近所だったときはたびたびでかけていた。地元・深川にかんする都現美の企画は、作品内に描写される下町という正統な観点から組まれるものが多かったように思うけれど、世田美の企画は住んでいたアーティストから組み立てられているのでより俗っぽくて直接的な興味をかきたてる。土地を描くのか、土地で描くのか、ということの違い。
2024/01/05
●朝、昨晩焼いたパンを少したべる。お昼、紫玉ねぎで奇妙な色合いの親子丼をつくる。パンを捏ねるのはあんなにたいへんだったし、まだぜんぜん食べきってないのに、またつくりたくなってしまう。パン生地の魔性はおそろしい。●横浜のホテルに泊まる。
2024/01/04
●もう粛々と仕事をしている。●夜、ホラー映画「トーク・トゥー・ミー」を観に行こうとしたら、劇場(新宿歌舞伎町タワーの109シネマ)の座席の値段が4500-6500円であることに直前に気づき、大慌てで予定をとりやめる。4500円のラグジュアリーシートでどろどろのホラーを見るお客さん、果たしているのかしらね…。●映画の予定がなくなったので、スーパーで強力粉を買ってきて、生まれてはじめてパンを自分で捏ね、焼いてみる。捏ねる生地があまりに硬すぎてぜったいに失敗したに違いないと思ったけれど、発酵と成形をくりかえして焼いてみると、できあがったパンはふわふわではなかったにしても案外わるくなかった。パン作りは身体知にみちていて愉しい、愉しいけれど身体中をもちいるのでくたくたにつかれた。少しあたためるだけで獰猛に呼吸をはじめてとろけ、捏ねようとすれば頑なにぎゅっと固まり和らごうとしない、ひどく気難しい粉の塊に振り回された一晩だった。マゾヒスティクな感じが嬉しい。
2024/01/03
●年始から開館している都現美へ。豊嶋康子「発生法──天地左右の裏表」展、MOTアニュアル2023「シナジー、創造と生成のあいだ」展、MOTコレクション「歩く、赴く、移動する1923 → 2020」展。●展示もよかったが、その前後に食事をしながら3人でずっとしゃべっていたのもよかった。奥泉さん手製の、恐ろしいほど細緻に彫られたゴムスタンプをみんなで押してワークショップめいてみたり、スパイスのきいたインド料理をしきりに感心しながら食べたり。それぞれ新しい年に制作したいものが溢れるようにたくさんあり、つくりたいものの話をたくさんする。
2024/01/02
●家で改めてお雑煮なんかをつくり、たべる。この年末年始で唯一のきちんとした休みの日、眠りたいだけ眠り、少し本を読む。●昼食を準備していると、本を積みすぎたテーブルの脚がぬけた。仕方がないのでお昼をピクニック的に床でたべる。けっこう落ち込む。きちんと釘を打ち直すイメージがぜんぜんわかず、結局養生テープでぐるぐるにしてなんとか元の状態にちかづける。●谷繁くんと年末に収録した、インド近代建築と食べものについてのポッドキャストを公開する。●羽田空港で旅客機の炎上する大事故。被災地への物資を運ぼうとしていたという海上保安庁の機体に乗っていた5人が死亡、機長が大怪我。旅客機の乗客は全員無事。
2024/01/01
●朝早めに起きて、新幹線に乗り、地元へ。おせちと蟹とおいしいミルフィーユを食べ、トランプをしていたら、能登半島地震。震源からかなり離れているというのに、広島もわりと揺れていた。はじめ、テレビには駅伝の番組が映っていた気がするが、だれかがNHKに変える。逃げてください、とアナウンサーの叫んでいる画面に、中継映像が映っている。砂埃をたてて崩れる民家、ゆらりと波打つ海面。●交通網が麻痺するのでは、と一瞬思ったけれど、東海道・山陽新幹線は10分ほど遅れているだけだった。わずかにためらったが、予定どおり、日帰りで東京に戻る。遅すぎない時間に帰宅。