20240412・近況

ukaware
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毎日BLEACHウォチパやるぞ~などといい始めて数ヶ月。もう長らくウォチパは進んでいない。

それ以前に、ここ1ヶ月ほど、具体的に言うとアマプラの一件以降全く参加もしていない。

内容が内容であるためずっとフォロー限定公開で話していたのだが、ある程度落ち着いたので近況報告をすることにした。

結論から言うと、潰瘍性大腸炎になった

簡単に言うと完治しない病気で、症状がほとんど無い「寛解期」と症状が出る「再燃」を繰り返す原因不明の指定難病だ。2月下旬に不調が続き、3月25日に診断が下った。

原因不明ではあるらしいのだが、先生曰く「経験上悪化のきっかけはストレスが多い」そうだ。

こう書くと心配されそうなのだが現状の私はとても落ち着いている。ストレスも凄まじく心当たりがあるが村の話ではない。今は結構頻繁にマックのポテトをもしゃもしゃと食べている。絶対やめたほうがいい。でもそれくらいは元気である。

ただまあ当然こんな病気になったことなど初めてだし、なにより「あ、私ってストレス感じるタイプなんだ」と気がついてしまい、以前と比べると活動に消極的になっている。

ウォチパ自体は楽しいのだが、アマプラが無くなりHuluを辞め(Huluは料金的にも前々からウォチパのためにしては高くね? 参加したくてもできない人も多くない? と思っていた)たことによってDiscordでの同時再生となったわけだが、今まで主催でありながら遅刻常習犯だった私にとって「確実にこの時間に再生する」というのは結構難しい。

それにBLEACHの旧作アニメはアマプラにはないし、どの配信サイトで配信しているのかを見る手間もある。別のソフトや拡張機能も調べたり新しいことをする気力が特に当時はなかった。一番不調だったのは2月下旬~3月上旬くらいだった。病というより、ストレスが酷かった時期である。アマプラのウォチパが無くなることが判明したのはこの頃だった。

ある程度して元気になったものの、またしばらくして持病のほうが悪化したらウォチパも中止になる可能性がある。ついでに薬の注腸剤が最初の頃全然慣れなくて、1日2回使用するだけで体感1時間くらい消えているんじゃないかと感じるほど大変だった(今は慣れてかなりスムーズになった)。

そういうことがあって、しばらくの間様子も見がてらウォチパや何かしらの企画は辞めておくことにしたわけだ。毎日ではないにせよ定期的に何かをやるというのは今は難しいと判断した。無論、またいつかのんびりと再開する予定だが。

ストレス、というのも出稼ぎ先の話で、なおかつ潰瘍性大腸炎もどうしても便の調子がなどという汚い話になってしまうためずっとフォロ限で話していた。FF外でBLEACHなどのアニメックスウォチパを楽しみにしていた人は大変申し訳なかった。

こういった理由で今後のウォチパについては未定である。

一応、千年血戦に関してはアマプラで配信されるはずであり、現状もまだ2クール分しかないことなどからこちらは2クールまでの振り返りウォチパ・3クール配信直後のウォチパは開催するつもりでいる。

旧作アニメ(BLEACH他テニプリとか銀魂とかみたいと言っていたやつ)に関しては、「その日23時55分までに私含めて3人以上いたら開催」くらいのゆるゆるした感じにしようかなと考えている。寛解期と判断されればなあと思うのだが、まだ治療が始まったばっかりだしどれくらいの頻度で繰り返すのかもわからないのでその点については申し訳無い。10年くらいは待ってて欲しい。

というのがこの1、2ヶ月の近況報告である。

相互さんに関してもご心配をおかけしてしまって申し訳無いのだが、私は昨夜も元気に唐揚げとポテトを食べていた。いつも通りやる気なく出稼ぎもしているので、今は特に問題がないことを重ねて記載しておく。

ということでここからはこの病気が判明するまでの話をする。出稼ぎで何があったのか・潰瘍性大腸炎の症状の話が出るので苦手な人はここまでにしておくことを推奨する。

元々私はとんでもない偏食で、村においても「普段何食べてるの?」とよく言われる。ある程度村のTLを見ている村民の間ではもはや周知の事実だろう。

そんな私の大好物は牛乳である。それもキンキンに冷えた牛乳だとなお良い。小学生の頃は野菜を全く食べないというのに牛乳を飲みまくっていた結果、栄養が偏りすぎて貧血になり、牛乳の量を制限される程度には牛乳が好きだ。

それは今も変わらない。温かい牛乳は全く飲めなくて、冷たい牛乳を飲むのが大好きだ。

だというのに、2月前後だっただろうか。牛乳を飲んで数秒でお腹を下すようになった。牛乳はそもそも乳糖不耐症なんてものが存在するほどお腹を下しやすいものではあるが、母親曰く「1日1Lくらい飲んでた」らしい私がここまで急に駄目になるのも変な話である。ということで牛乳ではなく冷たい水を飲んだのだ。

が、駄目だった。

もう飲んだ瞬間に駄目になる。重い物を食べても駄目だ。病院に行った日くらいだったと思うが、一番酷かった日はマックのポテトをもしゃもしゃした日の出稼ぎだ。1時間に1回のペースでトイレに引き籠もるくらいには駄目だった。

流石におかしかった。

極めつけが、2月頭か、中旬くらいか。血便があった。

生理でもないのに鮮血が便についていて、「え?」となった。

調べると大腸がんとかも出てきたが、私は20代半ばであまり考えられない。この時点で潰瘍性大腸炎の名前は結構見ていて、これなのかなとか思っていた。発症することが多い年齢もドンピシャだった。

けれど病院は嫌で、その日は一歩が踏み出せそうになかった。

特に隠していないが私は強迫性障害と自閉症スペクトラムがあり、特に強迫観念が酷い。たまに潔癖(潔癖ではない)という話をしていることもあるがそれが原因で病院というものが本当に苦手だ。病院自体は清潔なのかもしれないが、多種多様な人々が行き来するし、何より色々と書かねばならないことがあったりする。本当に苦手だ。

しかしフォロワーさんからも背中を押され、2月下旬~3月頭頃に病院を予約した。大腸検査をしたほうがいいということになり、3月半ば辺りに検査をして、3月下旬、潰瘍性大腸炎の診断が下った。

大腸の写真は素人目に見ても分かるほど大荒れしていた。まあ偏食だしなあと思っていたら「原因不明」とか言われてひっくり返った。偏食理由だったら納得したのだが原因不明なんかーいと思っていると、「原因は不明だが悪化する理由はストレスが多い」と告げられた。心当たりしか無かった。

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3月上旬に、4年程一緒にやっていたパートさんが退職した。

助かった、と思った。私が辞めるか、辞める勇気がなくてどこかで爆発するところだった。

開店当初から一緒にやっていた人で、最初の頃はこの人が辞めるなら私も辞めるわと本気で思っていたほどお世話になっていた。

しかし1年くらい前からだっただろうか。どんどん私への当たりが強くなっていった。

元々私は強迫性障害等があるためかかなり病みやすい気質だ。前は目を離したらいなくなりそうだった、と母親にも言われたことがある。自分に一切の自信がない。だからちょっとでも必要とされたり頼まれたりすると嬉しかった。出稼ぎ自体は短時間しかしていなくて、自分は働けないのだという気持ちはまだかなりある。それでもここで働き始めて4年ほど。体調不良で自分から休んだことは一度だけで、体調不良を理由に早退したことも一度もない。身体を壊したこともない。それなりによくやっていると思う。

それでもまだ私は駄目だ、働けない、自信がないと感じる。だから、何かトラブルや問題があると全部「私のせいだ」と思った。自分が悪いのだと思った。ストレスよりも前にこの考えに陥るため、私は職場に行きたくないと思うことは何度もあっても、ストレスらしいストレスもなく、誰かを嫌いになったこともほとんど無かった。職場自体に文句はあれど、誰か一人に対しての文句はあまり無く、もとより人間関係を構築するのが苦手な私には文句を言ったりすることも面倒だった。

多分それもあって、私は文句を言わない、愚痴を言いやすい相手だと思われたのだろう。

私は短時間しか働けない、ずっと親の脛をがしがし齧っている娘である。それでもここに面接に来たときから今日に至るまで、「扶養内で働く」という条件は一切変えていない。時間をずらすことはあれどこの曜日は確実に出勤できないなんて日も提示したことはない。

だというのに、「私(長時間)と鵜飼ちゃんとじゃ私のほうが不利だから」などという言葉を普通に言われ始めた。

不利ってなんなのだろうか。

私達の担当時間は最初は短時間の私・長時間のパートさん・バイトくんの3人体制で、なんやかんやとあって減らされて二人だけになっていた。

時給も上がって扶養を外れそうになるので時間を減らしたりした。

だがそれは私の問題ではなく上の問題だ。しかも私はパートさんに「一人だと大変」と言われたため、1日の時間を減らして日数を減らさないようにもしていた。金曜日は家族団欒を楽しみたいから休みたいと言われたので毎週絶対に出ていた。土日は給料が上がるから出勤したいが、土曜日は特に混むから土曜日に出てほしいと言われたので極力出ていた。一ヶ月のシフトの希望休は3日までだが、年の半分は希望休は一切書かずに提出していた気がする。単純にコロナ禍でイベントが無かったのもあるが。

面接の時点で火曜日は祖母の病院の付き添いの可能性があるからできれば休みたい、出勤であればこの時間以降しか出勤できないと言っていたが強制的な出勤にされて、上が変わって火曜日が楽になっても何故か休むことはできなかった。

シフトが決定しても毎月1、2回以上はパートさんに合わせてシフトを変更していた。

ここまでしていたのに、不利とは、なんなのだろうか。

「私の希望休が多すぎるって言われても仕方無くない?」などと言っていたが、いくら子供が三人(小さい子供ではない。私よりちょっと下くらいだ)いるとはいえ本来「希望休は月3日まで」だ。家族団欒を理由に毎週確実に休みをとっているのに仕方ないと言っても周りからすると「?」になるのも当たり前だと思う。同じ担当時間の私の希望休が月0日のことも多いのだから、周りは特にそう思うだろう。

ストレスを感じ始めた。客観的に見ても自分は悪くないだろうと思った時、流石の私でも病まずにストレスを感じるのだと初めて知った。

「鵜飼ちゃんが別の時間に移動してくれれば、もっと時間入れる人がこの時間に来てくれるかもしれんのに」

何故ここまで言われなければいけないのか、理解できなかった。

退職が決まってからは更にエスカレートして、勤務中にずっと文句と愚痴を言って自分がどれだけ耐えてきたか、みたいなことを周りに言いふらしていた。勤務中に、酷いと店頭で。

その隣で私はひたすら黙々と働いていた。

「あ、ここああやっといて!」

と言われて「はーい」と返事をすると、また雑談をしていた。

もはやパートさんと同じ出勤日が苦痛でしかなかった。

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退職してから露骨に体調がよくなった。

当時はまだ病院に行っても次検査しようか、みたいな話をしていただけで薬をもらったわけでもなんでもないのに、牛乳を飲んでもお腹は下さない。まだ血便こそあれど腹痛も無い。

私ってストレス感じるんだ。

自分でも驚いた。

とまあ、こんなことがあって今に至る。この頃が潰瘍性大腸炎のピークだった。

今は本当に楽である。普通に休みが取れる。金曜日も休みだった。「GWの日曜は流石に休まないほうがいいかな、大した用事じゃないんだけど」というと、「え、別によくない?」と言ったり、「私も一週間休みてえ~」というと「あのパートさん(病欠で)一ヶ月休んでたんだし一ヶ月休んでいいでしょw」と言ったりしてくれる人がいる。気楽である。

ということでここ1、2ヶ月の近況報告だった。

フォロワーさんにも大変心配をかけてしまったが、パートさんに変わって入った人とは全然うまくやっていけそうで現状全く問題はない。

潰瘍性大腸炎は20半ばあたりが発症しやすい。多分この年代の村民も多いと思うので、こうして書き連ねた。

みんな、身体に気をつけてな。

鳥さんも身体に気をつけながらマックのポテトを食べたいと思う。え? 今日はない? そんな~~~~。