三が日なんてケチなこと言わないで、七が日くらいあってもいいよ。大人になるほど「正月なんだからさあ、なんもしなくてよくな〜い?」という 空気が本当に本当に愛おしい。小学生のころは、皆で延々とテレビ見てダラダラし続ける正月が暇で仕方なくて「早く終わんないかなあ、箱根駅伝」とか思ってたよ。子供の私にとって箱根駅伝ってむちゃくちゃつまらないのに、やっと終わった!と思っても次の日もやるんだよね。絶望してた。世界が狭かったからね。
以下、年末年始のなんでもない記憶
30日、実家へ出発する前の身支度を始めた時点で何かを察知した猫がベッド下から動かなくなる。なんとか車に乗せて出発
車で四時間半かけて実家に到着。猫、久々の実家。最初の二時間は物陰からぴくりとも動かなかったけど、三時間経ったあたりから少しづつ表に出てくる。犬の勢いが強すぎて猫が常に引いている
台所に生ハムの原木が置いてある。父親が指を流血しながらも切り出してくれる。「うまいけど厚くてちょっと食べづらい」と言ったらキャベツ用ピーラーで削り出してくれた。「ピーラーの方が味もうまくなってない!?」と父。「専用ナイフわざわざ買ったのに……」と、絆創膏を巻きながら、父
夕暮れ時間帯に札幌の街中を運転していたら目の前を狐がダッシュ
猫が徐々に慣れてきて、安全地帯の2階から犬がいる1階まで降りてくるようになる。いつのまにか階段そばのソファに座っている私の横にちょこん……としている
「猫ね、私に会いに来てる。家にいるときもいつも私のそばにいるもん。苦手な犬がいるのに健気でかわいい。本当に」と言ったら母親から「違うと思うけどな」と返され、(は???マジでそうなんだが。貴様に何がわかる)と1時間奥歯を噛み締め続けた
犬から超絶ラブコールを受ける猫。犬は人間も聞いたことのないような甘えた声を出して猫に必死に語りかけているが、猫は犬が必死になっている時は決して近寄らない。犬が呑気に寝てる時とかに近付いてる。犬は気付かず寝ている。難儀な恋を見ている気持ち
夜の高速道路。都会はどうだか知らないけど、北海道は札幌から出たら高速に外灯なんて一本もついてない。滅多に他の車も見ない。通ってるのも9割山を切り開いた場所だから、光源は車のライトだけ。もし私が今路肩に車を停めてエンジンを止めたら真っ暗になるんだ、こんな鹿とか平気で出る山のど真ん中で!ってふと思ったら、無性に急停車したくなったけど、後続車が来たらさすがに死ぬ(死なせる)のでやめた。
運転中の意識の浮き上がり方が最近怖い。何らかの作業を無意識下で常に反復できる状況まで落とし込むことを慣れという、らしい。車の運転って高速を走ってると特に作業が単純だから、すぐに慣れて意識がどんどん浮いていく。その場で最適な操作をしながら、周りに危ない車が来てないかを目では見ながら、意識としては別に、その車を認識してないような。「こっち側に車が見えるときはアクセルを踏まない/ハンドルを切らない」と体が勝手にやってるだけ。
左から右、右から左、と遅い車を抜いて車線変更をしてるあいだ、私はまったく別のことを考えてる。こいつ遅いから追い抜こうとか自分で考えて車線変更してるはずだけど、一連の動作にその意識はない。この「体が勝手になんかやってる」が何らかの拍子でズレたらどうなるの?全く眠くない、しっかりハンドル握ってる、目の前に崖が迫っているのも視界にある、でも全く別のこと考えてぼんやりしてる、いつもならそれでも勝手に体がブレーキを踏むけど、なんらかのエラーで踏めないまま、そのまま落ちちゃう。みたいな、あるんじゃないの?