別れ際の「気を付けてね」という言葉はただの慣習や儀式やこれを言うとちょうど区切れがいいその場を立ち去りやすいおまじない、みたいな風に思っていて、言うときも言われたときも特別何かを感じたことはなく、まあほんの少し祈り?はあるかな?くらいの?かんじ。なんもないといいね〜くらいの。
でも、
氷でツルツルの路面を5時間運転して帰らないといけない娘に対して親が言う「気を付けてね」が、あなたの無事を真剣に祈って言われたものじゃないと本当に思ってるのか?
と聞かれたら、それはない。彼らは私の安全を祈っていると思える。
それと同じように、飲み会帰りに友達が言う「気を付けてね」が、転んで怪我しないでね、変な人に会ったら逃げてね、怖くなったら私に連絡してね、という真剣な祈りを込めているかもしれない、てことにはどうして考えが及ばなかったのか、わからない。
指摘された今も、「気をつけてね」のこと、あんまりしっくりきてないかも。あれって皆なんとなく言ってるんじゃないの?本当に?私だって本気の本気で気を付けてほしいときは「マジで注意して周りみてあれしてこれして行きなよ!!!!!!!」って言ったりするけど、「気をつけてね」という定型自体には今まであまり意味は込めていなかった。たとえただの飲み会帰りだろうが、わたしが傷つかないことを、無事な帰りを願ってその言葉を伝える人がいるらしい。