かみのたねの三宅唱×濱口竜介×三浦哲哉の対談(http://www.kaminotane.com/2024/03/05/25508/)を読んで、やっぱりもう一回見ておきたいと思ってTOHO日比谷で『夜明けのすべて』の2回目を予約した。先月見た時は、栗田科学の波はあれど穏やかな日々がこの先起こる事件のフリなのでは?という疑いが拭えず、ディテールに集中できていなかったが、2回目なのでその心配もない。事件も恋もなく刺激らしい刺激は一切ないが、ただただ見ていられる。いつのまにか、普段映画を見ているときについ乗っかっている面白い/退屈という評価軸から外れたところに立っている。この映画は見守ることでしか生まれない変化というものを描いていて、観客も同化して「見守る」の体勢に入っているから、事件によって脳が刺激されなくても、映画内のゆっくりとした静かな変化を見続けることができる。
演技も堪能できた。上白石萌音の演技は絶妙なコメディの色があってそのバランス感覚にしびれるし(不機嫌な時の「ゔぅん?」という返事ちょうどおもしろい)、前半の松村北斗の心を閉じた若い男性の発声の仕方に心当たりがありすぎて恥ずかしくなるほどだった。医者と話す時の「いや、、大丈夫です。」の間の取り方とか、言い終わった後笑顔は作れないけれど敵意がないことを示すために口の端を横に伸ばすあの感じとか。あれを演じられるって一体どういうことなんだ。そんな山添君が、ずっと着ていた紺のカーディガンの上に栗田科学の白いジャンパーを羽織り自転車に乗るシーンでぐっときた。映画館を出て日比谷駅を歩く。身体は軽く、背筋が程よく伸びている。自分の顔は見えないけれど、表情筋の感覚からあのときの山添君のようないい表情に自然となっているんじゃないかと思った。