昼休み、オフィスのポットが容量2Lのところ1Lだけ入れられて沸かされていてはっとする。先日昼休みに入ってすぐ自分がお湯を使い切って、そのあと何も考えず水を2L入れて沸かせてしまい、沸騰に数十分かかって昼休み中だれも使えない状態にしてしまったことを思い出した(もちろん誰からも何も言われていない)。そうだよね…すぐ沸かせるくらいの量でないとみんな困るよね…と数日前のことを反省した。こういう気の利かせ方がまったくできない。どのコミュニティにも呼吸するように気を利かすことができる「わかってる人」がいて、普段のものの見方どころか生き方からして違うのだろうなといつも思う。どうやって生きたらそうなれるのか。
帰りの電車で前田隆弘『死なれちゃったあとで』を読み終えた。死別の経験を振り返りながら翻って著者自身の人生、人生観を縫い直していくエッセイ。同人誌が話題になって商業出版されたそうだが、それに納得できる静かなパワーがあり、かつどこか軽妙さも有している本だった。
夜、やり始めたばかりのswitch版ファイナルファンタジーXで「異界送り」のシーンになった。シンという巨大な神?による災害で亡くなった人々の魂を召喚士(僧侶的な立ち位置っぽい)が鎮め、生者の世界に未練を残さないように祓う。死を悼むということ。『死なれちゃったあとで』も「異界送り」も、悼みの大事さも含め理解はできる。でもまだ悼みというものを実感としてはよくわかっていない。いつかわかる日が来るのだろう、それがすこし怖い。