昼前にデイリーポータルZを開くと、大晦日に送った投稿が採用されていた。デイリーに載ったうちの実家箱を見てほしい。
「赤の他人なのに既視感がある箱~実家箱2024中間発表1」
https://dailyportalz.jp/kiji/jikkabako-2024-01
小雨が止んだことを確認して外に出る。冷たい外の空気を肺に入れるだけで体が軽くなって、やっぱり出てよかったと思った。向かいから歩いてきた夫婦がベビーカーを蛇行運転して、子どもがウキャキャもっかいやってえと大はしゃぎしていた。金属音みたいな高い声。すれ違ったあとも後ろから聞こえ続けていた。世田谷線に乗って松陰神社前の石井ブレンドが経営するカフェに行ってみたが満席であきらめる。自分のすぐ前にも店目当てで来たと思われるグループがいたし、繁盛しているようでよかった。
そのまま三軒茶屋まで行き、twililightを訪れた。素敵な本屋だと聞いてはいたけれど、想像以上だった。穏やかな空気だが弛緩しておらず、落ち着いて本と向き合える環境が整えられていた。いい本屋では棚を眺めたり本を手に取るだけで思考がじわじわとひろがっていくような感覚を得られる。目の前の本たちのタイトル、著者名、装丁、並びなど無数の情報が脳に折り畳まれた記憶をずるずると引き出し、それらが連鎖してとんでもないアイデアが生まれそうな気がしてくる。気がしてくるだけなのだが、もう失われた感覚だと思っていたのでまだ味わえるんだと嬉しくなった。ピラール・キンタナ『雌犬』を購入した。イ・ランのエッセイも面白そうだった。
問題はこのあとだった。三茶から渋谷に移動して、服でも見るかと思ったが急に自分の格好がいけてない気がしてきてーーベージュのニットキャップの色が浮いているーー帰ることにする。ただせっかく渋谷まで出たわけだから夕食でも、とかつ屋の前まで行くと券売機の前に6人も並んでいるのが見えて面倒くさくなった。いつものはなまるうどんに向かおうとして、途中で一人焼肉でもするか?とひらめいた。正月らしく豪華にいこう近所に牛角があるからそこにしよう。だが井の頭線に乗ってスマホで牛角のメニューを見ていると、けっこう割高に感じられて気がくじけていく。これなら普通に人と食べたほうがいい。下北沢で降りて気分にあった外食を探すことにする。この時点でもうすでに3つも店を変更していて、後から見るとかなり悪い流れになっているのだがまったく気づいていなかった。好きなものを食べようと気まぐれにふらついているのではなく、逃した分も納得できる何かを食べなければと追い込まれていた。
松屋で焼肉系の丼をテイクアウトしようとしたが食券のタッチパネルに取扱なしと表示されたので出て、その店頭に看板が出ていた松屋フーズのステーキ業態の店に行ってみたもののタッチパネルに表示される肉のサイズの小ささに悲しくなってやめた。バーガーキングの2000円以上するパティ4枚チーズ4枚のバーガーのポスターを横目に今はバーガーじゃないと心の中でつぶやき、結局松屋に戻ってキムカル丼をテイクアウトして帰宅した。何を食べたいか自分でわからないまま、こしらえたストーリーと感覚的損得勘定とコスパに振り回されて混乱する…キムカル丼は肉が薄く味もぼんやりとしていておいしくなかったが、さまよいにさまよった結果の着地点としては相応しかった。
スマホをいじっていると、ニュースで羽田の事故を、SNSでノアの飯伏丸藤戦の顛末を知り、暗い気持ちになった。キムカル丼の器を捨てながら、こうやって正月から苦しいこと続きだと今年はだめな一年なんだと思いそうになる。でもそれは認知的な罠だから。それぞれの出来事は独立していて連なってはいない。年始に悲しいことがあっても今年がずっとそうなるわけじゃない。素敵な本屋に出会えたからって夕食の選択がうまくいくわけじゃない。ストーリーに淫するのではなく出来事をただ味わうこと。