通勤電車でペギー・オドネル・へフィントン『それでも母親になるべきですか』を読む。数ヶ月前に買って一章だけ読んでから放置していたのでひさしぶりに。非小説の翻訳文体特有の、わかりやすく書いてあるはずなのに読みすすめにくい感覚を味わいながらページをめくる。たまに視線が流れているだけで読んでいないことに気づき、目を前のブロックに戻す。そのあいだに電車は地下に潜ったり地上に出たりする。そうやって読みすすめていると徐々に、走りながら悪路になれるように文体が目にフィットしてきた。この感覚よ。この感覚があるから本を読むことができる。本を読むことで本が読めるようになる。
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過去日記(2023.10.1〜12.25)
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