昨日は上野に東京藝大のオーケストラの演奏会に行った。ブラームスの交響曲3番とショスタコーヴィチの交響曲5番の2曲プログラム。3番はブラームスの交響曲の中では地味ポジションらしく、実際わかりやすい派手さはなくどちらかというと室内楽っぽいんだけど、流れるようなメロディーがやわらかくておしゃれな雰囲気があって、わたしは大好き。サガンの"Aimez-vous Brahms?(ブラームスはお好き)"という小説があるけれど、それを原作にした映画が3楽章を使っていたりする。ブラームスの交響曲では3と4が死ぬまでに弾きたいリストに入っていて、やっぱりいい曲だな、弾きたいなと思った。ショスタコ5番は弾く方も多分疲れるし聞く方もなかなか疲れるんだけど、ロシア史の激動が頭に思い浮かぶかっこよさがあって、4楽章の鬼気迫る始まりを学生時代、部活の友達と歌って笑い合ったこと込みで思い入れがある。まあでも自分で弾きたいとはあまり思わないかもしれん。演奏会は、馴染みのある弦楽器だけじゃなく管・打楽器もめちゃくちゃ上手いな!?と思うくらいには音の良さがわかって、さすが今後音楽で生きていく人たちだなあと思った。トランペットが素人にもわかるほど上手かった……。あとは、指揮者の先生が全曲暗譜で振ってて、それに気づいた時思わず心のなかでヒエという声が出た、どういうこと。
もし違う楽器を選ぶとしたら、弦楽器ならチェロ、管楽器ならオーボエかファゴットをやってみたいかなあ。でもそれは来世の話、今世ではヴァイオリンを、弾けなすぎて昔の練習態度を後悔したり、楽譜の音が高すぎるとか文句を言いながら、それでも弾き続けたいなと思っている。
ところで、今週外勤先で上司から「彼氏ができるまでの期間だけでいいから一緒に美術館に行こうよ」と言われたことについて。当初は「はぁ……」って言って、だるいことになったなあと思うくらいだったのだけど、自分の親くらいの年齢の既婚者が部下の女とサシで休日出かけようとすんなよなライン超えてんじゃねえよ、というムカつきが時間が経つにつれて気持ちの奥からどんどこどんどこ湧いてきたし、わたしは筋が通っていない行動をする人が非常に苦手(定義が曖昧な任侠的価値観で生きている)なので、職場の先輩方にこういうことがあったんですよねと全部愚痴った。そうしたら、先輩方が「本当にありえない」「何のつもり?giveだけしてろよ」「認知の歪み」「病気」「笑い事じゃないくらいのセクハラ」「外勤先変えてもらえるように相談しにいこう」と口を揃えて怒ってくれて、わたしはそういうライン超え発言に対する上手い躱し方を聞けるかなあ〜くらいの軽めの気持ちで愚痴を言ったつもりだったし、直接何かをされたわけじゃないだけダメージは大きくなかったのだけど、こんなふうに味方になってもらえるのはすごくありがたいなと思った。そして、やはり当事者はやばさをアンダートリアージしてしまうんだなと思った。その上司からは毎回いろいろ美味しいものとかもらっていたんだけど、こういうのも下心だったのかしら?と思うと、物にも余計な意味合いが付加されてくるし、本当に、やっぱり、おごりおごられみたいな関係性は、ないに、限る!!お金は力、どうしたってそこは切り離せない。他人との間にお金の力で権力勾配が発生することは、できる限りしたくない。わたしは欲深い人間だから欲しいもの自体はたくさんあるけれど、誰かにお金を出して買ってもらってまで欲しいものは、そんなものはこの世にひとつもない。