言語化のリハビリなので多少強制力を持って書かないと……と思った僕は、初日のうちから毎日のリマインダーをセットしていた。初日の僕が偉いので、今日もなんとかしずかなインターネットをできている。
とはいえ、今日一日とかで話題を探しに行ったわけでもないし、感受性が今死んでいるので語るに足るだけの情報もない。この辺り、対人能力の低さも出ているなぁ…とは思っている。たぶん今晩誰かにご飯誘われていたら、トークデッキがなさ過ぎて無言の時間がすっごい長いことになっていただろう。……明日は人間とご飯に行く予定があるのでヤバイ。
とりあえず、心の中を吐き出していく路線がこの場の目的なので、最近コンテンツについて思っていることをつらつら書いていこうと思う。
実はなんだかんだでこの2年くらい、そんなにクリエイティブをしていない。作っていない訳でもないし手を抜いているとかではないんだけど、何か激烈なオリジナリティやメッセージ性があるわけでもない、ある種の「優等生」を繰り返しているような感じだ。
ちゃんと求められているものを求められるクオリティ以上で作っているつもりではいる。でもやっぱり、どこかで激烈なエゴを発散させたい欲みたいなものは沸いてきちゃうのだ。他のコンテンツに触れるたび、「何か、こういうものが欲しいのに」「自分だったら、もっとうまくやる」のような、嫉妬と傲慢がないまぜになったような感情がある。
例えば、手ごろな例としてだいたい1か月くらい前に遊んだ持ち帰り謎の「花火」の話をする。少しだけ「紅葉」についても。
(※ わずかでもネタバレされたくない人はここでブラウザバックしてほしい)
あれの最終章は本当に好きだった。1・2章までの淡々とした内容から、突き落とすように起こる悲劇。なぜ起こってしまったのか、一つずつ足取りをたどっていくように痕跡を拾う。そうしていくことで分かる、分かってしまう、解き進めたくなくなるけど前に進まざるを得ない内容。
「謎解き」と「体験」をすごくきれいに昇華させた作品だと思う。正直、謎解きに求めている、実現したい体験はあそこに詰まっていた。
一方で、思うこととして。
ギミックと作りたい物語が先行しているな……という印象を受けた節はある。主人公の思考・感情の動き、表現に対して周囲の人間がどうしても作者に動かされている感覚がぬぐえなかった。もう少し整合性が取れていて描写も丁寧であったら、本当に作品として完璧に完成していたと思う。(……なんてのは何様視点だよ、という話でもあるが)
「紅葉」については、その感覚がより加速した。「花火」を目指そうとして背伸びしようとしたんだな…というのが正直な感想だ。ラスト付近のとあるギミックはたまらなく好きだし、あれだけで加点法なら100万点をあげられる。でも、ストーリーやそれ以外の体験について、減点法で点をつけるとすごいことになってしまう。
両作品とも、絶賛されている節がある。でも、自分視点では至らないと感じてしまう。これらが最高傑作と言われ続けていいのかと思ってしまう。そうすると、心の中の悪魔が「もっとうまくやれると思うなら、お前が作れよ(出来るわけがないくせに偉そうに)」って囁いてくるわけで。
そんなこんなで今はちょっと持ち帰り謎制作のモチベがかなり高まっている。ここまで書いておいて口だけ野郎にはなりたくないなぁ。過去の自分を振り返ると、その気質は否めないので……
ちゃんとアウトプットにたどり着けるまで、生き汚くて生きて、何かを創って、自分の気持ちが1000年生きてくれたら嬉しいよね。