前回の記事を読んでいたら、母について書くことに罪悪感を抱いた。私の考えが子供なんだろうか、私が悪いところがあるからではないか、こう言うことを言っていること自体が間違いなのではないかと、自分の非を探している自分がいる。
もちろん私にも悪い部分はあるのだろうが、それは「ある」ということだけ抱けばいい。全て自分のせいにしなくていいし、起こったことに対して抱いた感情を押し殺さなくていい、と、今の私に伝えたい。
1月に会った人からのアドバイスを忘れないように書いておく。
おばあちゃんが「お母さんがこうだって正しいことを完璧にやろうとしなくていい」と伝えてくる。
お母さんは教え方がすごく雑。理想を掲げて教えてくるけど、実現不可能なことを言ってくる。無茶振りがある。
それが、20歳よりも前の時は割とキツく強いられてきたように(おばあちゃんが)見せてくる。20歳からの⚪︎さん(私)は自分で選択できるけど、それよりも前の苦しかった部分、頑張ったのに評価されなかった部分がある。
だからもし感情を遡るなら20歳からがいいと思う。20歳からだったら頭と心が直結してるから。
でも、それよりも前だと心と頭が直結してない状態で受け入れてきたから、傷つけられた、押し付けられたみたいな感情になっている。
それは変えることはできないけれど、もしお母さんは自分がきつかったから同性の娘に対してこう言ってきたんだろうな、って思い返すといいと思う。
あともう一つ、もらったアドバイスをプロトコルのまま書いておく。忘れてしまうから。
お母さんとの関係というのは進んでいる。
お父さんとの関係が情報として入ってきたことによって、お母さんに対しての発生する気持ちや、蓋して開けてこられなかった気持ちがパタパタ開いてくると思う。
今日のきっかけや気づきによって無意識にいろんな感情を認識したり気づくことがある。それをガイドしてくれるのは多分おばあちゃん。お父さんもガイドというか、許容体になってくれる。だからそれは安心していい。
今日はできそうにない。気分が向かない。
ここ2日間、過食をしてしまった。他人と会ったことによってか、いろんな感情がざわめいて、落ち着けたくて胃腸を弱らせた。お腹いっぱいなのにさらにお腹にものを満たそうとして食べた。そのせいか寝つきが悪い。今日もダメだった。こうやって負のスパイラルになっている。本当にダメだ。
そういえば今日は白湯を飲んでいなかった。反省したい。ちゃんと言われたことをこなして、一つ一つやっていかないと。何かキラキラした目標があれば頑張れるのになあ。しるべとなるものが欲しい。けれど今の私がそれを見つけるのは、何かを無理やりそうだと思い込む、自分自身を洗脳して誤魔化そうとする気がしなくもないから、探すのはやめよう。するべきことから逃げてはいけない。ストレスを感じても過食に走りたくない。ストレスを感じたらリングフィットをやろ〜みたいな人間になりたい。