母のことを考えようと思ったけれど、ふと頭に浮かんだことがあるのでこれを無視するのはちょっと違うなと思い、ここに書く。
陰鬱な内容の漫画を読んでいるとき、ふと父のことが思い浮かんだ。私が物心ついた頃から二十歳の、父と絶縁するまでの記憶が断片的に蘇る。そのとき、怒りという感情が小さく湧き出てきた。けれど、怒ってはいけないのだろうか、とすぐにその怒りを消火した自分がいた。消火したというより、手で握り潰す感じ。もしくは、蝋燭を海の中でポイと投げる感じ。
それで今、内観をしようかと母のことを思い返そうとしたら、その、私の父に対する一連の感情の動きが気になって、こうやって今書いている。モヤモヤして、あまりうまく言語化できないけれど、ゆるさなければいけないのだろうか、という疑問が生まれたので、整理するためにプロトコルをあさっていたらこの助言を思い出した。
お父さんの許せないことは無理に開けて許さなくてもいいと思う。
無理に開けて許さなくて良いのか、と思い出してちょっとホッとした。受け止めないといけないのか、と思う自分がいるから。
全部は許さなくていいけど、生まれてきた喜びとか娘とかの愛が薄れていったことはないってことは胸の中に置いておいたほうがいいと思う。
ハッとした。私は父についての内観をすっかり終えて、よし次は母についてだと思って行動していたけれど、父に対しての内観を本当の意味で終えてはなかったと気づいた。
多分、私、父に愛されているという感覚がない。
「私は両親に愛されている(いた)」と自信を持って言えない。
今まで自分が知らず知らずのうちに得てきたものを並べたら、きっと他人からは「それは愛されているよ」と言われるだろう。愛するとは、常に優しい言葉をかけることではない。時として間違いを咎め、厳しくするのもきっと愛だろうし、子供の預かり知らぬところで親は奮闘してくれていたと思う。
それはわかっているのだけれど、どうしても、どうしたって、両親とは距離をとってしまう。精神も肉体も、両方。それは私がわがままなのだろうか?こんなにしてもらって、それでもなお両親に感情の受容体になって欲しかったと思うことは、傲慢だろうか。
これについては結局、傲慢か否かは私が決めることだから、きっとこれからも傲慢なのか、そうでないのかとぐるぐる考えるのだろう。
それでも思うのは、私は思春期の女の子ではもうないから、こういった親に対する感情を開けっぴろげに他人に話すことはないし、他人に親との関係性について深く打ち明けることもない。
何が言いたいかというと、これは私の中だけで完結させるのだから、たとえ傲慢だったとしてもそれはそれで私にとって必要なことだから、思っていいと思うことにする。
父について少し考えてみる。
父と母のことを内観していて、父もまた一人の人間であったことを私は初めて認識した。
あの人も一人の人間だ。弱音だって言いたいし、甘えたい気持ちもあっただろう。大人になってわかる。強く生きることは存外難しい。
大学生の時、短期間だけれど父と一緒に住んでいたことがある。その時に父と珍しく会話をした時、父が「人間が誰しも持っている感情は何だと思う?」と聞いてきた。私は三大欲求かな、と思ったけれど父はもっと高度な欲求のことを考えていて、「自分以外の誰かに認められたいという感情だよ」と話していた。それだけは鮮明に覚えている。
(私)がここにきている理由の一つは、お父さんの、夫婦のしてのこととかお金のこととか女性のこととか、パッケージで「この人はダメだ」ってところに、それでも自分は娘としての愛がある、ってのも入れてほしいみたい。許してほしいとか認めてほしいとかは思ってない、でも娘として愛していたことも一緒に理解してほしいみたい。
父親としてできないことも多かったって伝えてきてて、完璧にできなかったけど、やってきたことも思う通りでいい、と。だけど、お母さんの言っていることが全部正しくもないって言ってる。
「娘として愛されていた」「父が私を愛してくれていた」というのを、どうやって受け取れるのかわからない。私は単純な人間だけれど、こればかりは「そうなんだ〜」と言って素直に受け取るということができない。時間をかけて受け取っていこうと努めるしかないのだろうか。
どうやったら私は、父が私を愛しているという言葉に重さを感じられるだろう。どうやったら素直に受け止めて、体に溶け込ませることができるだろう。多分きっと、父に愛されていたということを、ぎゅっと抱きしめて、体に浸透させていく方がきっと私にとっていいし、そうしたいと思うのだ、本能的には。けれど、どうやったら浸透していくのかがわからない。
許さなくても父親という存在を認めていかないと心が苦しくなってしまう。
本当にそうだと思う。そうだね。〜していかなきゃ、と思わなくて良いから、ちょっとずつ感情を整理していこう。これからも。