今日も内観をしようと思ったけれど、母に対して感情が何も浮かばない。
じゃあもう整理がついたのかな?と思うも、それは違う。何かが引っ掛かっているし、こびりついている。
まだ整理するものが「ある」ということはわかるのだけれども、それが何かはわからない。
転職活動が終わりを迎えたことで、ちょっと気持ちが上向きだからかな。でも、「じゃあこれで内観終〜わり」としてしまうのは間違っている気がするので、終わりにはしない。
前に自分が書いたことを思い返してみる。
内観とは、振り返りもそうだし、理解もそうだけれど、膿を出していくという作業なのかもしれない。
腫れ上がった傷口にナイフを当てて、溜まった膿を全て出して、傷口を正しく塞ぐ。それは痛みを伴う。きっと、そういう行為なんだろう。
ふと思ったのは「私は母に対して感情を塞ぎ込んでいる」ということ。
不満や怒り、悲しみ、そういったものを、「母は可哀想な人だから」「母は苦労している人だから」「金銭面でお世話になったから」「お父さんがああいう人だったから」と、母に感謝しなければいけない、母に不満を持つことはいけないことなのだ、と、全ての感情を塞ぎ込んできた。
けれどそれは、正しいことではないのだろう。1月に会った人も言っていた。「お母さんに対して思っていることを、たくさん塞ぎ込みすぎている。そこを洗い出して整理していかないと」と。
塞ぎ込んでいるものがある。確かにそうだ。でも今は、開ける箱がちょっと見つからない。だから、蓋が閉じられているか否かも見えない。
まあそんな日もあるのかな。焦らずに開けて整理していこう。