内観をしよう 6.5

わたし
·

今日も内観をしようと思ったけれど、母に対して感情が何も浮かばない。

じゃあもう整理がついたのかな?と思うも、それは違う。何かが引っ掛かっているし、こびりついている。

まだ整理するものが「ある」ということはわかるのだけれども、それが何かはわからない。

転職活動が終わりを迎えたことで、ちょっと気持ちが上向きだからかな。でも、「じゃあこれで内観終〜わり」としてしまうのは間違っている気がするので、終わりにはしない。

前に自分が書いたことを思い返してみる。

内観とは、振り返りもそうだし、理解もそうだけれど、膿を出していくという作業なのかもしれない。

腫れ上がった傷口にナイフを当てて、溜まった膿を全て出して、傷口を正しく塞ぐ。それは痛みを伴う。きっと、そういう行為なんだろう。

ふと思ったのは「私は母に対して感情を塞ぎ込んでいる」ということ。

不満や怒り、悲しみ、そういったものを、「母は可哀想な人だから」「母は苦労している人だから」「金銭面でお世話になったから」「お父さんがああいう人だったから」と、母に感謝しなければいけない、母に不満を持つことはいけないことなのだ、と、全ての感情を塞ぎ込んできた。

けれどそれは、正しいことではないのだろう。1月に会った人も言っていた。「お母さんに対して思っていることを、たくさん塞ぎ込みすぎている。そこを洗い出して整理していかないと」と。

塞ぎ込んでいるものがある。確かにそうだ。でも今は、開ける箱がちょっと見つからない。だから、蓋が閉じられているか否かも見えない。

まあそんな日もあるのかな。焦らずに開けて整理していこう。

@uminosokokara
日常の備忘録。どこにも共有しないでください。静かな場所で静かに自分のためだけにこれを書いてます。