実はこの前、とある会社から内定をもらった。
昨年から転職活動を(サボりつつも)続けていたのだけれど、ある時ふっと気軽にカジュアル面談をした会社が良い意味で印象に残って、まあ選考受けておくか〜という軽い気持ちで受けたらあれよあれよという間に内定が決まった。
あまりにも急ピッチで決まっていったから、正直今も実感がない。けれど、「ああ、これでニートは回避した」という安心感がちょっとだけある。ちなみに、年収も結構上がることになった。嬉しい。交渉した甲斐があった。
安心したと同時に内定が決まったことが少し嬉しくて、友人たちにラインをしたら皆祝福してくれた。おめでとうと言ってもらえるだけで心が軽くなる。いまだに稼働しているグループラインがありがたくて仕方がない。
信頼できる友人たちに連絡をした後、ふと、母にも連絡しようかと思った。
本当は入社が決まってからの方がいいかと思ったけれど、取り急ぎ内定が出て、私がニートにならない・路頭に迷わない・親に迷惑をかけないということを伝えておいた方がいいと思った。
母は私が休職してから、そして私が母に、母の言葉を素直に聞くことができないことを伝えてから、連絡をするのを控えてくれていた。心配をかけていたと思うから、とりあえずの報告でも少しは安心材料になるのではないかと思い、ラインを送ったらすぐに連絡が返ってきた。
他にも話したいことがあるから電話をしてもいいか、と聞かれたので、特段断る理由もなく、私は久しぶりに母と会話をした。
(内定もらえて)よかった。心から応援している。
ずっと心配していた。私(母)もここ一年、半分うつのように過ごしていた。連絡はしない方がいいと思うからしなかった。
私が元気でないとき、母も元気ではなくなるというのは私にとってとてもしんどいと思った。
私がしんどくてもそれは私自身の問題であって、特段母には関係がないのだから母に影響があって欲しくないし、それだとまるで私がずっと元気でいなくてはいけない気もして(私は昔からこの感情を、少しの強迫観念のように持っている)少し嫌だったのだけれど、それを言葉にして伝えてしまうのは母にとってあまりに酷なことだし、母は母の性格があり、事実としてそうなってしまうのだからここは言及しても仕方がないと思い、黙って母の話を聞いていた。
内定先の業界が、亡くなった父が関わっていた業界だったことに母が気づくと、「変な因縁があったものね」と母は言った。
そこには特に、怒りや憎しみは感じなかった。私が生前の父が携わっていた職に就くことについて、母が何かマイナスの感情を持たないといいのだけれど。
あなた(私)が今の業界に長くいるのは、私(母)が、就活時にこの業界に行けって言っちゃったから、私(母)のせいだよね…。
兄も心配してる。この前兄と、⚪︎⚪︎(私)は今の業界には向いていないんじゃないかと話していた。私(母)が最初にそう言ったら、兄も「俺もそう思う」と言っていた。
母のこの言葉については、
「でも私は今の業界に進んだからたくさんの知識を得たし、この業界に来なければ知り得なかったものを知って体験もできた。確かにしんどいこともたくさんあったけれど、私は選んできたことに全く後悔していないから、そこは、お母さんは背負わないで」と伝えた。
母が、母のせいだと重責を負う必要など全くないし、私だって辛いことがあったのは事実だけれど、もっとこうしていればとか、もっとああしていれば、などは一回も思ったことがないのだ。だから、その考えは無くしてほしいと思った。
⚪︎さん(死んだ父)が自営業だったから、業績が良い時は良かったけれど悪い時に色々と苦労したから、家族の中で一人でも勤め人がいたら安心だと思っていた(家を取られることがないから)(母は昔、父の経営している会社がお金に苦面した時、いくつかの土地を手放した経験がある)。
兄は自営業のままだろうから、⚪︎⚪︎(私)が会社に勤めていてくれて安心する。
私が会社に属している人間であってほしいという母の希望は、新卒の就職の頃から感じていた、と私は返した。なぜなら、母は私が新卒の会社の愚痴を言うことをひどく嫌ったし、「三年は勤めないと一人前と認められない、弱気でいても仕方がない」とよく言っていて、私が社会的に安定した職についていることを何よりも求めていた。
余談だが私は最初に配属された部署で三年間働いたあと、ある日社内で倒れて入院した。ストレス性胃潰瘍だった。
そのあと異動して以降、ストレスはかなり減った。思えば、最初の部署はクソだったけれど、それ以外の部署は一部のクソな人間を除き、恵まれた環境にあったと思う。二つ目の部署で途中から出会った上司は私の理解者になってくれたし、三つ目の部署にいた上司たちは私の本質を見抜いて、よく構ってくれて、私の力を最大限発揮できるような環境を作ってくれていた。
(見た目が)綺麗でいてほしい。(人として)輝いていてほしい。
これについては、ちょっと前にまたパーソナルジムに通い始めた。
ジムのトレーナーさんは、変わり果てた私の姿に驚いていたけれど、私が半年〜一年かけて元の身体に戻すことを決めたこと・そのためにあすけんプレミアムを登録したことを話したら、「なるほど、本気ですね。じゃあ、本当に本気で取り掛かりましょう」と笑顔で言ってくれた。
これについては、一度私は火がついたら実行するタイプなので、きっと一年後は綺麗になっている。だから、一年かかるけれど、私は綺麗になれると母に返しておいた。
「あまり自分を過大評価するな。謙虚でいなさい」
最後に母に釘を刺された。
この人は昔からずっと、私を褒めることはしない。「よかったね」とは言うけれど、「頑張ったね」とは言わない。
私は言い返した。「私は小さい頃からずっと謙虚だ。あなたに謙虚であれと育てられてきたのだから」
そう言ったら、母は「そうね」と小さく呟いた。
多分私は無意識に、母にすごいと思われたかったのだろう。
私は私が他者から自分を評価されたことを母に話すときに、少し誇張してしゃべってしまう。それは恐らく、今だにどこかで母に認められたい、褒めてもらいたいという幼い自分が残っているからだろう。
書いていて恥ずかしい。そろそろ、幼い自分には消えてもらわなければいけない。
と思ったけれど、強制的に消そうとするのはあまりにも私が可哀想かもしれない。手を握って、心の中で寄り添い、その子がもう褒め言葉を欲しがらないくらい満足できるくらい隣にいてあげることを選んだ方が、きっと私にとって良いだろう。たった今そう思った。
あの人は私を大した人間だとは思っていない。何者でもないことを知っている。それでいい。何者でもないけれど、しっかり生きている。それだけでいい。その自分を受け止めてあげればいい。
母は、転職するのが正式に決まったら温泉旅行に行こうと誘ってくれた。
行きたいという気持ちはあまり湧かなかったけれど(母に会った時、何の話をしていいかわからないし、また母の言葉で動揺したり、傷ついたりするのが嫌だからだと思う)でもその誘いは母にとってはとても大事なことであっただろうし、私に対して母なりの労いなのだろうなと思ったこと、そして、いつか母は私より先に死ぬことを考えれば、ここは「行く」と返した方がいいのだろうなと思い、うん、とだけ返しておいた。
多分何度も考えるのだけれど、私は母を嫌いではない。好きだからこそ嫌いになりたくないし、家族として愛しているからこそ絶望したくない。それだけだ。
温泉より上高地に行きたいな。でも、上高地に行くなら一人で行きたい。海にも行きたいな。海に潜って、ずっとぼーっとしていたい。もしくは、浜辺で空と海を見ながらぼーっとしたい。
ゼロになる時間。何かをチャージする時間が欲しい。4月に作ろう。きっとまた忙しない日常が始まるだろうから。