二月と言えばチョコレートだ。
毎年、バレンタインは自分のために好きなチョコを買っている。一昨年からずっと買っているのがこれ↓
パトリック・ロジェのプラリネシリーズ。
これがバカ高いけどめちゃくちゃ美味しいので、毎回その値段にギギギ…となりつつも購入している。そして毎度幸せな気持ちで一粒一粒大事に食べる。至福のときだ。
高島屋オンラインで購入するか、といくつかチョコレートをぽちぽちカートに入れて決済しようとしたら、商品ごとに決済をしなくてはいけないというなんとも面倒臭い仕様になっていた。
面倒くさいので高島屋に直接買いに行こう、と思い調べたら、立川に高島屋があるとのことで特に深く考えずに電車に乗った。
電車に乗って、立川駅からのアクセス方法を調べていたら出てきたのが「立川高島屋 閉店」の文字。そう、立川の高島屋はもうない。
なんてことだ、チョコレートが買えなくなってしまう。かといって、立川駅から新宿に向かうのも癪だ。
ふと思いついてスマホでこう検索した。「立川 神社」。
もう、今日の目的であるチョコレートは記憶から消して、どうせなら立川にしかない神社に行ってみようと思った。すると、駅から徒歩10分のところに諏訪神社があると知った。行ってみよう。
ということで駅からてくてく歩いて、諏訪神社にお邪魔した。
東参道が最初に見えたのだけれど、やっぱり正門からお邪魔したいと思って正門まで歩いた。でで〜んと神社名が書いてある石碑を見るのが好きだったりする。
狛犬が大きい。
写真ではわかりづらいけれど、いかつくてかっこいい。鳥の鳴き声が聞こえるのと、近くに学校があるからか子供達が遊んでいる声が聞こえる。
人は少なかった。私が参拝する頃は誰もいなくて、しばらく静寂を独り占めできた。
気配がよくわからなかった。自分のアンテナが結構鈍っている気がして悔しくなった。精進しなくてはだなあ。
初めてお参りする神社だったので、自己紹介をしてぐるぐると境内を歩いたり、空気を吸い込んで、吐いてを繰り返して、ぼーっとしていた。
時折、心の中で耳を澄ませて、これからのことについて考えようとしたけれど、まだ何も思いつかなくて、思考力が鈍っていること、越えていきたいことがあるのになかなか越えられないことを神様に対して一方的にお話しして、これから私が歩んでいく中で、何かご助言があれば御神籤を引くのでお答えくださいとお伝えし、御神籤を引いてみた。
優しい。思わず泣いてしまった。ハンカチを忘れたので手で涙を拭った。
「今は人のしらぬ胸の苦しみがある」その通りだった。誰にも言えない苦しみがある。
誰かに告げようとも、きっと私が言葉の限りを尽くしても理解されることのない苦しみや愛憎がある。
それをどう整理したらいいのかわからなくて、もちろん助言はもらってはいたのだけれどなかなか進められずもどかしかった。それでも見えない世界を信じて、自分のことを整えていったら幸いが来ると、背中を撫でてもらえた気がした。
おみくじに書かれている教えが好きだ。私がシンプルな御神籤を好むのはこれが一番の理由かもしれない。凝ったオリジナルのおみくじだと、神様の教えが書かれてない時が多い。
そうだよなあ、神恩感謝を忘れないって本当に大事だ。
今、私は毎日内観をしたいと思っているのだけれど、なかなか上手くいかなくて困っていた。色んなものを諦めるのも、溜め込むのも得意になっていて(ならざるをえなくて)、思いだすことや吐き出すことがひどく苦手で、ともすれば苦痛を伴う行為だからだ。
とりわけ、家族の事柄に関してはそれが顕著で、父親と母親のことをどう考えていいかわからなかった。愛情を覚える日もあれば、恨みしか覚えない日もあった。
私に助言をくれた人は、「愛も憎しみも同時にあっていい感情だから、否定しなくていい。物事の陰陽をどちらも受け止めて、存在を認めて乗り越えていけたら良い流れが生まれる」と言ってくれたけれど、両親や家族について、既に色々と諦めて蓋を閉じてきてしまった自分にとって、蓋を開けていくことがとても辛くて仕方ない。
内観をするのが嫌で、一日ソファでゴロゴロしている日も多くなった。逃げてはいけないと思うのに、逃げている。
けれどそれは、正しい行いではないな、と俯瞰して見つめる自分がいる。雑に過去の蓋した感情を開けていく必要はないけれど、一つ一つ開けていかなければいけない。そんな時、どんなことがあっても味方してくれる、見守っていてくれるのは、見えない世界だと私は信じている。
そういえば今日の朝、こちらを向いていたはずの狐の置物が、全く違う方向を向いていた。ああ、近くにいると言ってくれてるのだなと、すんなり受け止めている自分がいる。