「やりたい」と「できる」の狭間すら見つからない

わたし
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神社に参拝するとき、よく祈祷に鉢合わせる。

よく行く大國魂神社でも、初めて行く神社でもそうだ。今日、東新宿にある「稲荷鬼王神社」に参拝に行った。時間としては閉まるギリギリだった。

神社に踏み入れたら、人がゾロゾロと境内に入っていた。神主さんも立っていた。ピンと来た。「ああ、祈祷が始まるんだな」と思ったら、太鼓の音が聴こえて祝詞が響き渡る。とても縁起の良い光景だ。参拝しながら祝詞を聴いて、しばらくの間境内をうろうろさせてもらった。

この神社に行ったきっかけは、鍼灸院の先生から教えてもらったからだ。「すぐ近くに鬼を祀っている神社がありますよ。厄除けに行ってみたらどうですか?」と。

ぎっくり腰手前なくらい違和感を抱えた腰をなんとかするために、兄がお勧めする鍼灸院に行ってきた。都内にひっそりとある場所だ。鍼は太いしかなり刺激がある。

けれど、めちゃくちゃに効く。これを書いている今、既に眠い。容赦無く鍼を刺してくれたのがありがたかった。お気に入りの鍼灸院になった。

鍼灸院の先生はあまり世間話をしない人だった。私の身体は背中から上が相当硬いらしい。背中の筋肉が異常に凝っていて、筋繊維?が良くない状態らしい。先生が「こんなに硬かったら頭に血がいかないしそりゃあ鬱にもなるわ〜」と軽く言ってくれたのが救いだった。

「モラトリアム中なんですよ」ぽろっとこぼれてしまった。

「いきたい業界があったんですけど、第一志望は書類落ちで、第二志望は推薦をもらってたのに面接で落ちて。じゃあそっちは諦めて、本業はちゃんと自分の能力が活かせる、稼げる職に就こうと思ったら面接直前に高熱が出て。もう邪魔されてるとしか思えないんです。やりたいことがわからなくなっちゃった」

最近の私のお決まりの文句だ。この言葉がもう何度頭に浮かんだかもわからない。

「やりたいことはないんですか?」先生は何ともなしに聞いてきた。私は答えられなかった。

やりたいことは何だろう。行きたかった業界には、営業で入ろうと思っていた。私は営業と広報しか経験したことがない。とりわけ営業経験が長かったから、最も経験値を積んだ職種で勝負してみたかった。それは結局叶わなかったのだけれど。

でも今から考えれば、「本当にその会社で営業をしたかったのか?」と疑問が浮かぶ。私は別に営業をしたかったわけではない。営業なら「できる」と思っていた。営業であれば利益を上げることができる。企業の発展に貢献できる。その業界に良い資金の流れを生み出せると思った。

けれどそれはやりたいことだろうか?

やりたい、と、できる、は違う。

では自分が気になる分野は何だろう。

今一番気になるのは映像だ。MVを作ってみたい。AfterEffectsを自在に操れるようになりたい。映える絵が描けるようになりたい。歌う人が考える世界観を、映像で作れるような人間になりたい。

けれど私はまだAdobeの課金を始めたばかりだ。それを職業にする力もない。異業種も良いところだ。年寄り・未経験を雇う会社なんてないだろう。何より、生きていけない。お金を稼げない。

年末、にっちもさっちもいかなくなって、なぜか無性にカフェに行きたくなって下北沢にふらりと足を伸ばした。途中、どうせ下北沢に行くのならと思って占い屋を調べたら奇跡的に空いていたため予約した。占いの先生は男の人だった。不思議な雰囲気を纏った人だった。

「貴方は何ができるかではなく何をしたいかで考えなさい。興味関心のままに好きなことを研鑽すればお金もついてくる人だから、好きなことをやっていい。頭で考えすぎているきらいがある。枷を自分で作ってしまっているから、年齢がどうとか、未経験がどうとか、そういうことを考えないで好きなことをするのが一番いい」と言われた。そして、「ここ(占いの店)によく来る人たちが映像やクリエイティブの会社やってるから、もしよかったらそこ紹介しようか?入るのもいいと思うよ」と言ってとある会社を紹介してくれた。その会社は、私が携わりたかった分野に深く関わるものを取り扱っていた。私はその分野に関わりたいと口には出していなかった。ただ、「副業としていつか映像を作れる人間になりたい」とぽろっと零しただけだ。

もし気持ちが固まったらお願いします、と私は返した。これは何かのご縁なのかもしれないと思った。けれど求人を見て、私が役に立つ分野がないと思った。未経験、という言葉がどうしたって身体に染み付いて、離れない。私は一人で生きていかねばいけないから、生きていける職を手に入れなければいけないと、大きな枷を自分に与えている。

年末、アフターエフェクトを触ろう触ろうと思っていたけれど、ウェブで買った講座がつまらなすぎてフェードアウトしてしまっていた。今日も触れなかった。けれど作りたいと思えるものが作れるようになりたい。明日、5分でいいから触ってみよう。その業界に入るかはわからない。きっと入れない、と書きそうになったけれど、それを書くことが私が頭で考えすぎ、枷をつけてしまっているのだろう。だから書かない。

何も決めていないし決まっていない。京都の縁切寺に行こうと思っていたけれど、石川県の地震があったから、どうしようかなと悩んでいる。取り止めのないことを、思い浮かべるがままにつらつらと書いて自分の考えを整理したり、吐露したら少しはすっきりするかなと思って、今PCに向かっている。

「やりたいことはないんですか?」

この言葉に、「ありますよ!」と笑顔で返したかった。こういうことを仕事にしていて、人生めちゃくちゃ楽しいんです!と笑いたかった。仕事を楽しめない自分はとても悲しい。希死念慮はないけれど、死んでもいいかなと思う時もある。年末年始、一緒に過ごした家族に言われた「何とか元気になってほしいと思っているよ」という言葉を思い出して、生きている。

@uminosokokara
日常の備忘録。どこにも共有しないでください。静かな場所で静かに自分のためだけにこれを書いてます。