内観をしよう 8

わたし
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父の墓参りに行ってきた。

私は20歳で父と絶縁した後、父が死ぬまで会うことはなかった。父の骨が墓に入った時、数回は親に連れられて墓参りに行ったけれど、それもいつしか行かなくなった。行く必要性がないと思った。

けれど、内観を通して父に対する考え方が少しだけ変わった。見方が変わったのか、捉え方が変わったのか。いや、情報が増えたことによって、多分見えるものがあったのだと思う。

母と会話する中で、ふと私が「父の墓参りに行こうか」と母に提案したところ、「そうね、行きましょう」と母は頷いてくれた。そしてつい先日、母と一緒に父と、そして父の母が眠る霊園へ足を運んだ。

墓の掃除をした後、墓前で父方の祖母と父に挨拶した。

この墓は父方の祖母が買ったものだ。祖母は、祖父と離婚を繰り返していたから、祖父の墓に入りたくなくて自力で購入したらしい。ここに、父も祖母も眠っている。

手を合わせた。色々話した。これまでずっと来なくてごめんと謝った。天気は快晴で、桜が綺麗だった。

そういえば、最後に来たときは母と兄と、そして当時生きていた犬と一緒だったなと昔のことを思い出した。

墓前に飾った仏花は鮮やかで綺麗だった。母が花屋さんにお願いして、明るい花たちを買ってきてくれていた。

気のせいかもしれないけれど、どこか気持ちは穏やかだった。肩にかかっていた重荷が、ひとつストンと落ちた感じがした。

帰り道、母が「蕎麦か中華が食べたい」と言ったので、中華街へ行った。そのあとは母方の祖母の家に行った。もうそこに祖母はいなくて、伯父がひとりで住んでいる。母方の祖母の墓参りにも行きたかったのだ。

夜に、母と、自己肯定感や色々なことについて話した。詳しくは書かないけれど、前とは変化している。母の考え方や、母が今まで私に話していなかった苦労話を、少しずつ打ち明けてくれた。それを考えると、母はあの当時、母親であり父親であらなければならなくて、そして母は出来る人だから全てがなんとかまわってしまっていたから、厳しくならざるをえなかったのだ、ということも一部は理解できた。互いに声を荒げることもなく、静かに、お茶を飲みながら深夜まで話をした。

やっぱり、変わっている気がする。この関係性や、話せることが。

きっとまだ全ては解決していないけれど、紐解かれてはいないけれど、それでも随分と前進した気がする。

内観を続けてきてよかった。立ち止まって考えてきてよかった。

私は前々から、「このまま母と和解しなかったら、きっと母は死ぬ時に私に謝罪を述べるだろう。謝らせて後悔させて母を死なせるのは嫌だ。かといって、自分が傷ついてきた過去を押し込めるのも辛い」と悩んでいた。その、とんでもなく大きな悩みが、少しずつなくなっていく気がする。

もちろんまだ全ての対話は終わっていないけれど、少なくとも私と母は、互いにぶつかろうとすることなく対話することができるように、少しはなってきたのだ。

本当によかった。

今日も、母からyoutubeで見たのだろう、猫ちゃんの動画リンクが送られてきた。私がモモの写真を送り返したら、嬉しそうなスタンプがひとつ返ってきた。そうだ。母は厳しい人だけれど、理想が高い人だけれど、でも機械おんちでチャーミングなところもあるのだ。厳しいのは自分の子供に対する愛情があるからで、理想が高いのは自分の子供ならきっともっと出来る、もっと素敵になれるから前進してほしいという願いがあるからだ。それは過度であればもちろんしんどいけれど、それでも母が子供にそう願う気持ちはわからなくもない。

いつか来る離別の前に、母と対話ができる関係性になりかけているのはとても嬉しい。これからも対話していこう。

@uminosokokara
日常の備忘録。どこにも共有しないでください。静かな場所で静かに自分のためだけにこれを書いてます。