※錯乱体験と対人トラブルの話を含みます。
※2024年10月7日、一部編集して再公開しました。
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夜の散歩が好きだ。特に父と二人で夜の買い物に行く時間が好きだ。夜食や酒を買いに行く、少し悪(ワル)になった気分が好きだ。就活が終わって自分で稼げるようになったら、この夜の散歩にも一人で出かけるようになるのだろうか。そんなことを思いながら、父と歩く日常を噛みしめる時間が好きだ。
夜風が好きだ。虫の声、草花の香り、雨や雪。季節を乗せて、歩いて温まった体を冷ます、心地良い風が好きだ。夜空も好きだ。暗いグラデーション、雲の縁取り、ときどき見える金星だか一等星だか人工衛星だか分からない輝きが好きだ。
月が好きだ。三日月や逆三日月は笑った目元や口元に似ている。なので個人的に「笑い月」と呼んでいる。上弦と下弦はどっちがどっちだか忘れたけれど、半月も新月も朧月も満月もひっくるめて好きだ。
そう、月が好きだ。星も、人工衛星も、夜空をピカピカと横切る飛行機やヘリコプターも好きなのだ。それらをまとめて指す単語がある。私が好きなものを指す、できることなら思い出したくない単語だ。
ここからは暗い回想になる。
とあるきっかけで錯乱してしまった時のこと。寝てるんだか起きてるんだか夢を見てるんだか幻覚を見てるんだか分からない状態の中で、塗りつぶされた黒を背景に見事な白い満月を見た。今思えばただの円盤なのだが、陰影もクレーターも何もないそれを、当時は確かに「月だ」と思っていた。
錯乱のきっかけは知人の投稿動画だ。なんてことはない、深い意味なんて恐らくない、既存曲のカバー動画だった。しかし当時の自分は何を思ったのか、何を勘違いしたのか、何をとち狂ったのか。それを自分宛てのメッセージだと思い込んで連絡先へ突撃していた。
そこからの記憶は筆舌しがたい。端的に書くと、一方的に喚き散らし、一方的に縁を切っていた。狂人相手に返事をしないという冷静な対処をしたその人には頭が下がる。言い争いになっていたら、今でも発狂したままだったかもしれない。考えるだけでも恐ろしい。
そんな経緯で縁を切ってしまった人の、昔のハンドルネームだったのだ。私の好きなものを指す、できることなら思い出したくない単語は。初めて創作活動を共にした、初めての仲間だった。
米津玄師の『砂の惑星』や『Lemon』を聴いたり歌うとき、脳味噌の古傷が警鐘を鳴らす。有名な曲だからテレビで流れもするし、好きな曲だから口ずさみもする。けれど本当はその曲を楽しむ権利などないのだと思う。
笑顔のような三日月を見ると思う。笑う資格などないのだと。レモンの形をした月を見ると思う。歌う資格などないのだと。幻覚のような満月を見ると思う。許される資格などないのだと。
それでも日が昇れば白昼堂々と歩いて通院通所し、日が沈めば夜の散歩を楽しんでいる。加害した側だからこそ言える。加害者なんてこんなものだ。自害の自由もないこの時代を生きるのなら、どうせなら笑って歌って悪を貫きたい。
夜風に吹かれ、夜空を見上げ、夜月を眺め。夜食と酒を買って、小さな宴会を開く。月が綺麗ですね。そう告げる相手などいないから、ネットの片隅に回想と共にしたためようと思ったのだ。月が綺麗でした、と。