競馬が好きです。今の好き状態に来るまでエポックメイキングな出来事が3つくらいあって、1つ目が初めて10万超えを当てたこと、2つ目が寺山修司の競馬エッセイを読み漁ったこと、3つ目が世代が1周するのを体感したこと。
初めたての頃、バイト前に仕込んだ3連複5頭ボックス1000円が12万くらい?になって、ビギナーズラックありがたいなの思いと、運の反動の怖さから高幡不動で牛角食べ放題を何人かに奢りました。結果を見た瞬間はうれしさよりも、全然飲み込めていない頭になっちゃっていて、それも含めて日常であまり無い状態というところにハマりポイント1がありました。
別口で寺山修司の著作を読み漁っていた頃、「誰か故郷を想はざる」に競馬及び賭博の話がよく出てきており、そこから調べて競馬エッセイをかなり書いていたことを知りました。読み物としての面白さはインターネット書評に多く見られるので割愛ですが、何よりも競馬観みたいなものに共感し、これがハマりポイント2でした。
『レースを成り立たせるのは、ファンの魂のなかの「エロス的な現実」である。それは、ファンの空想のなかに、あらかじめ組み立てられた一つのレースと、現実原則によって規定されたホンモノのレースとのあいだに横たわる「時」の差である。人は、その「時」の差に賭けるといってもいいだろう。』(寺山修司「誰か故郷を想はざる」)
2016年初頭に競馬を始めて、ちょうどキタサンブラックの全盛期が始まるあたりでした。悠々と前めにつけて、直線をそれなりの速さで上がって1着、みたいな競馬。どうせ勝っちゃうからな~という気持ちになっていたことは確か(特に大阪杯とか)でしたが、泥だらけの秋天と最後の有馬の有終の美で、手のひらを返しました。
そして種牡馬になり、2021年に初年度産駒がデビューしていきます。その頃には自分の中ではもう「あの」キタサンブラック、清算済みの過去になっていました。それがその年の東スポ杯1着の馬を見て、名馬から名馬が生まれるという言葉を感じました。それは名馬から名馬を辿ることもできる、という意味で、過去に押しやっていたキタサンブラックが新鮮さを持って記憶に戻ってきます。
長く接していれば接しているだけ、血縁から辿れる記憶が増えていき、その頃の盛り上がりが手元に戻ってくる幸せがあるということに気づいたのがハマりポイント3です。たぶん10年くらい観るのをやめても、その時の活躍馬の血統表を見ればまた新鮮な気持ちに出会える気がします。