なりたい自分になること

undeva
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公開:2025/11/12

夕方までずっと眠っていた。うちの人が飲み会に行く支度でばたついているのを横目にようやっと動き出した。

今は休むべき時だとわかっているけれど、何もしない一日の無力感は大きい。風呂に入って、図書館にきている本を取りに行くことにした。

上着を少し間違えたな、と夜風を感じながら思う。それでも、涼しい夜はすっきりとして気持ちがよかった。東京の空は狭いけれど、随分慣れた。私はたぶん、東京に出てこなくたって幸せに生きていけただろうなとは思いつつ。

出世欲はあまりない。間違えそうになるが、私がいつも求めているのは自分がなりたい自分であることであって、それはがむしゃらに働くとかよりは、日々をきちんと終えていくことに近い。文章を書くことを仕事にしてみたいとは思うけれど、今の仕事も好きだし、商社でばりばり働きたいわけではない。向いていない研究を志してアカデミアで名をなしたいわけでもない。期待してくれた母には申し訳ないけれど、今の生き方に私はかなり満足している。もう一回人生をやれるならやってみたいことはいろいろあるのに、振り返ったら満足しているのは少し不思議だ。

一方で、達成したいことはそれはそれである。孤独や渇望からすばらしい作品がうまれるという言説をしばしば聞く。おおむね正しいと思うし、それでいえば、私が書けるものはもうほとんどなくなっているのかもしれない。けれど、生まれてこの方反発心ばかりはあるので、やるっていったらやるんだよという気持ちも同じくらいある。今は、いつか父に言われたみたいに、父がいなくなるまでには自費でもなんでもいいから何かをひとつ形にしたいなと思っている。結局こういうのは根性だと思っているところがある。私が中学受験で得た一番大きなものって、闘争心と根性なのかもしれない。

帰宅して借りてきた本をぱらぱらとみる。『魂の燃ゆるままに』というイサドラ・ダンカンの自伝。何かを成したひとの人生はまばゆい。ちょうど友人から、司法試験合格の報せがあった。それを寿げる人間であれていることは、うれしいことだなと思う。