自分を変えた本だとか、影響を受けた本を就活の時によく聞かれた。今思えば、読んだことがある本の中でどういう理由でどれを選ぶかというところからプレゼンなのだとわかるけれど、当時は途方に暮れていた。好きな本や、その本を読んで明確に自分の何かが変わった本だけでも、いつも片手では足りないくらい思いついた。
一方で、最近は(記憶にまったく残らないという意味で)意味のないネットの文章を読み流すことが増えた。元々ネットにはあまり触れずに育ってきたので、ここ数年で急速にインターネット漬けになっている。過激な言葉遣いに辟易することも少なからずあるけれど、この手軽さはたしかに魅力なんだろう。麻薬というのも言い得て妙だ。私の人生に必要かと言われたらまったくそうではないのに、SNSのタイムラインでおかしくなるくらい時間を空費している。そろそろやめたいし、X(旧Twitter)は早くおすすめ欄を廃止してほしい。
SNSは苦手だという意識が明確にある。ある種の言葉がどうしても受け入れられないことが一番大きな理由だと自覚している。幼い頃から母は言葉遣いに比較的厳しく、家の中は「きれいな」言葉でできていた。一番古い記憶は「ママ」と呼んで叱られたこと。もはや好みレベルの話だと今は思うが、私も誰かにそう呼ばれたいとはとても思わない。幼い頃の刷り込みってすごいものだ。お客さんがよく来る家だったからなのかもしれない。言葉だけでなく、座る時は必ず正座を徹底されていた。
中学、高校と上がっても、砕けた言葉遣いは「ヤバい」がせいぜいだったから(私の頃はそれもぎりぎり忌避されていた過渡期だったように思う)、SNSを使っていると突然言葉の違う世界に放り込まれたように感じる時も未だにある。オタクと呼ばれる人たちは共通事項で盛り上がることが多いから、その前提を共有できていない自分の居心地のなさもあるのかもしれない(私自身も何かのオタクではあって、たとえば国語の教科書に載っていた作品などでは異様な盛り上がりを見せられることは申し添えておく)。
といっても全部、今の自分が疎外感に敏感な時期だからに尽きるのかもしれない。SNSをはじめてもう5年。時が経つのはあっという間だ。