台湾旅行の思い出

undeva
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公開:2025/10/13

きっかけは、友人の「本場で小籠包食べへん?」という言葉だった。いいね、と気軽に頷いたものの、外国語大学にいながらパスポートを持っていなかった私たちは慌てて申請をしたり親に相談したりして、春休みに台湾に行くことになった。

宿はパッケージのものにして、ツアーは九份に行くときの分だけ予約した。それ以外は夜市に行きたいだとか小籠包が食べたいだとかのふんわりとした希望しかないまま、台北に飛んだ。春だったのに、初夏を思わせるくらいには暑かったと記憶している。

ホテルにはたしかタクシーで行った。随分年季が入っていて、部屋のテレビでは声が違う名探偵コナンが流れていた。海外だし、こんなものかなと言いながら、荷物を置いて街に出た。

台北の駅には長い地下街があった。アヒルの頭に人の身体をした奇妙な像を見て、何がおかしいのかずっと笑っていた。バイオリンを弾く人があまりに調子っぱずれだったので、それにもまた笑った。何を見てもおかしくなるくらい、気分が高揚していた。家に今もある『春宵苦短少女前進吧!(夜は短し歩けよ乙女)』は、この時書店で買ったものだ。読めもしない本を買う習慣は、この時にできた。

夕飯は目当ての小籠包。それからいくつか頼んだ副菜だったけれど、青い草が炒められたのが山盛りになっていたものは、友人が早々に根を上げて、私が全部平らげた。たしか、代わりに肉か何かの料理は食べてもらった。小籠包はふたりとも美味しく食べて、やっぱり本場はいいねと言い合っていたように思う。

食べることが目当てだったから、2日目の予定も食を中心に組まれた。朝ご飯は豆乳と油條。友人たっての希望で食べに行った。私もおいしいと言ってみせたけれど、本当はそこまで好みじゃなかった。それでも、彼女が本当においしそうに食べていたので、おいしかった思い出のような気持ちになっている。帰りに現地の市を見かけて、あれこれ言いながら見て歩くのは楽しかった。

その後も特に目的地もないまま、街を歩いた。今度は私の希望でお茶屋さんを探して、適当なところに入って店主にお茶菓子とお茶を振る舞われていた。日本語が当然のように話せる人で、びっくりしたのを覚えている。あんまりいい人だったので、そこで3つほど阿里山高山茶の袋を買った。後にも先にも、これよりおいしい台湾や中国のお茶は飲んだことがない。

昼ご飯は友人の希望で火鍋にした。振り返ってみると、私はお茶ばかり、彼女は食べ物ばかりで、ちょうどいい役割分担をしていたと気がつく。あの頃は辛いものはそんなに得意じゃなかったはずだけれど、ふたりで鍋をつつくのは楽しかった。

夜は九份に行った。唯一の目的地らしい目的地で、ガイドさんから何度もスリに気をつけてと脅された。実際、そのくらい気をつけてちょうどよかっただろうと思う。日本から来たぼんやりした女子大生ふたり、思い返しても緊張感がこの時まで欠片もなかった。

人はかなりいて、きれいな写真を撮るのも一苦労だったけれど、それでも急な階段を彩る赤い提灯はきれいで、裏路地も雰囲気があって楽しかった。特に何をするというわけでもなかったのに、やたら楽しかった。お互いの写真を撮らなかった私たちのカメラロールに1枚だけ残っている彼女の写真は、この時カメラを構えていた姿の影絵だけだ。後になってとても後悔したけれど、この1枚だけでもあってよかったと今では思っている。

台北に帰ってきてから、夜市に行った。下調べを私の方はまったくしていなかったので、正直どこのものだったかあまり覚えていない。ただ、雑多な人々や屋台の雰囲気が楽しく、胡椒餅がやけにしょっぱかったこと。それからやっぱり、彼女が楽しそうにしていた記憶だけがある。こういう旅の記憶は、いいところばかり残るものなのかもしれない。お土産に、追加のお茶とドライフルーツ入りのヌガーをたくさん買い込んで、また来たいねと言い合いながら帰った。

あれからもう7年ほど経っただろうか。彼女の訃報からは5年。誕生日の翌日のことだったと聞いて、お祝いのメッセージを送っていれば何かに気づけたのかもしれないと何度も思った。写真の1枚でも撮っていれば、家族の方に送れたのに、とも。

後悔は尽きないが、彼女のことを思い出すのはいつだって台湾のおいしい食事を見かけた時で、そのたび彼女を思い出せるのは幸運なのかもしれない。思い出の中の彼女も、ずっと楽しそうにしていることだし。