私はたまに「自分はアートがやりたいのかも!」と思うことがある
……で、アートをやってる自分を想像してみる
そうすると、自分が作ったものを受け手が好意的に捉えてくれるかがすげー心配になる
絵や音楽、映像はあらゆるフェアな視点から容赦のない評価を下される。素人くさい、ダサい、初心者っぽい、下手くそ、雑、意味がわからない、作り手のエゴを感じる、気持ち悪い……
もちろん近しい人が社交辞令的に褒めてはくれるだろうけど、それがわかっちゃって嫌になるだろうな〜と思う
結果として私はアートがやりたい人間じゃないんじゃんと思って、プログラマーの考え方に戻る
プログラマーの私が作るものも大概わかりにくいけど、純粋な技術的成果には「専門知識のある人だけにわかればいい」という釈明があり、そもそもわかってもらえなくていいというところに強固な防衛線がある
私は多分、自分の底を見られてしまうのがどうしようもなく怖い。「なにか底知れないすごいことをしている」「自分とは違うことをしている」というフィルターを何重にも展開して自分を守っている
それは自分を守ってくれる心地よい殻であると同時に、理解者を遠ざける壁でもある
壁の中に一人は寂しいから、自分はこんなに面白いことを考えているんだ!みたいなことを曝け出して、自分を知ってもらいたいと思ってしまうこともある。それが「アートがやりたい」という思考として滲み出してくるのだろうな、と
アートを見せることは自分の底を見せることだと思うから、自分にとってそんなに恐ろしいことはない。でも、そこを踏み越えさえすれば、みんなに自分をわかってもらえるのに……
結局、私にはまだ自分を知ってもらう勇気がないだけなんだろう。なんだか底知れないやつだと思われていたいという気持ちが勝ってしまう。いやでも本当の意味で自分を評価してくれる人がいてほしい……。どうすればいいんだ、助けて!!!
……そんな葛藤の中で生きていることを定期的に忘れて、私は時折無邪気に「アートがやりたいのかも!?」なんてことを思うのだった