散歩はちいさな冒険だ

unieco227
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早速立ち上げてから10日以上書かなかった。

ムラがありすぎる。先が思いやられる。

まあ誰にも強制されてないし、書きたいときに書き散らすスタイルで。

唐突だけど、私は家が大好き。

出来れば一日中ごろごろしてたい。外に出るのが億劫マン。

でも桜の季節はちがう。

1年に1度しか見られない桜を見なければという謎の使命感にかられるからだ。いや、強迫観念といってもいい。

「え~今桜を見ないなんて人生損してない?SNS載せないの?大丈夫??」みたいな虚栄心のかたまりB子が突然あたまの中でつぶやく。そういう人いない?

というわけで、お昼ごはんを食べて早々、自転車をこぎ出した。

有名なスポットに行かなくても、まあまあの桜スポットがあるのが田舎のいいところ。

近くの川沿いへ自転車をこぐ。

一体普段どこにこんなに人いた?ってくらいの人が歩いている。

仕事がらおじいさんおばあさんと接する機会が多くて、しゃぼん玉を飛ばしてる大学生らしき若者や、カメラを向けるカップル、ベビーカーを押す夫婦、おばさま方、土手で釣りするおじさま方など、普段見かけない人たちが桜目当てで一同に会している。

この一人ひとりに人生があって、皆特別ってなんだかすごいよな、と不思議な気持ちになる。

途中小学生の自転車集団と川沿いですれちがう。

20m先くらいの何人かと目が合い(確かに合った、と思う)、ゆっくり速度を落としてすれ違おうとする。

でも10m先まで近づいたと思ったら、もう私の存在をすっかり忘れたかのようにふらふら寄ってくる。

子どもってわかんないな、と思いながらも、すれ違いとおくなっていく子どもたちの声で、ふと仲間に入れてもらえない子どもの気持ちになってしまった。自分の中の子どもが友だちになりたがっていた。

今度は日よけ帽をかぶった軽装のおばさまとすれ違う。

散歩しながら、川沿いの菜の花や桜をじっと眺めている。

時折、サイクリングコースの両方に目移りしては、方向を変える。

案の定うまくすれ違えず、「あ、ごめんなさい」といわれ、「いえっ」と去り際に短くつぶやく。

この人にもきっと家族がいて、ひとりで散歩に出てきたのかな。

それとも一人暮らしで気晴らしに散歩に出かけたんだろうか。

じっくりと花や川をひとりで見入る姿に、未来のわたしを思い浮かべる。

もしおばさまの年齢まで生きていたら。だれかと桜を見ているだろうか。

それともミニバイクでなく、今度は電動自転車で、ひとりまた桜を見に出かけているだろうか。

最近歳のせいもあって、どこかへひとりで行くと必ず、「暮らしに”だれか”がいて、中々ひとりで来れない人」を想像する。

それは父、母、こども、パートナー、同居人かもしれない。

なんて不自由で、窮屈で、それでもたまらなく欲しくなるんだろう。

ないものねだりだし、なんでそれが幸せだと感じるんだろう。

でも今年も私はひとり桜を見ている。

それがどうしようもなく悲しくて、どうしようもなく自由だ。

散歩だけで、こんなに突拍子もないことを連想するのは、わたしぐらいかもしれない。いや、きっとだれかいることにする。

そんなわけで、やっぱり外へ出ると家の中にいるのとちがって情報量がすごい。

風の音、鴨の群れ、桜の下の静かな花たち、どこかにいる雛鳥の声、川沿いのごみの山

もっと外に出なければと思うと同時に、家の中でももっと本を読もうと思う。

外に出るとエネルギーがチャージされ、また家の中も充実する。

家の中で充電して、また外に出かける英気を養う。

これからに期待したくなる、春。

そんな思いを巡らせながら、帰路についた。