今回のムードは「雪」
なんともいえない静けさの中に微かな鳥の声が混ざっている。
「サー」という文字がかすれて消えかけているような、空気の流れの音が存在していながら「静けさ」というのも変な気がするが、そういう音がする。
Noteで繋がりをもってみたかった。だからNoteに何か書こうとした。けれど無理だった。「Noteに書こうとして無理だった話」とは、"Noteに書くという行為自体"が無理だった話のことである。
全般性不安障害
いつでもなんでも不安になる障害。
気をどれだけ逸らそうとしても逸らせない
自分の考えが極端で奇妙だとは思うが取り消せない
特に何を考えも感じもしていないのに不安だ
「神経質」「心配性」「気にしすぎ」と同一視されることがあるが、全く違う。スライムLv1とスライムLv99は違う。平熱と高熱は違う。「6針縫った」を「ああ、切り傷ね」と言われたら「そんな軽いものではない」と感じるくらいの差だ。不安障害は不安障害だ。性格とは似て非なる。
オタクと私とボーズラブとなりきり
何がどうしてそうなったのか知らないが、私は気づけばオタクの世界にいた。
はじめは単なるゲーム好きの子供ーーといっても、遊ぶソフトはそう多くなく、どこで買うのかも知らず、どこで情報が手に入るのかも知らず。なんか家に突如として現れる「面白いもの」であった。ゲームという名前があると知ったのすらいつだったか思い出せない。
ただ、はっきりしているのは「私が遊んでいたRPGを遊んでいる子が他にもいて、その子はRPGの中のとあるイケメンが大好きで、自分がそのイケメンを描いたのを見せてくれ、そのイケメンがいかに好きか語っていた」ということである。ふんわりとした朧げな記憶である。たぶん一部のオタク方は「所かまわず萌え語りや妄想をする若気の至り」に呼吸困難になられるかもしれない。
安心してほしい。どっかのウェブサイト(ホームページ)から印刷した「気に入った絵」をファイルに挟んで持ち歩き、見せ歩いていた子も見たことがある。「この作者さんの描かれる絵が好きだ」と、ちゃんと作者を認識して敬意を持っていただけ、作品にしか関心のない輩よりはマシだが肝の冷えるオタク諸氏がいらっしゃることだろう。何も安心できませんね。
あまりにも堂々としているので、そういうものかと思った
私はいわゆる「お坊ちゃん」というもので、世間知らずであった。
男女の垣根なく触れ合い、話し、上下関係や空気感を無視していた。スクールカーストというものを肌で理解することすらしなかった。なんかいつも一緒にいる子たち、という認識もそこまでなかった。今だから分かるが私はごく軽度とはいえASD傾向があり、目に見えない関係性を悟るのが苦手だったのである。私にとって学校で重要なのは「学べるかどうか」であった。
よって、インディーズCDの話をする他人も、ゲームのイケメンの話をする他人も、話はしないが存在はしている他人も、みんな他人であった。
「学ぶ場所に、なんか一緒にいる、同級生やクラスメイトと名付けられたもの」でしかなかった。そこに階級はなかった。差はなかった。今もない。他人は等しく他人である。一部を友人と呼称し、知人と呼称するが、あまり差はよく分かっていない。良くも悪くも私は「差」が理解できない。
だから「BL」と「それ以外」の区別がつかなかった。「愛し合う」という"より広い括り"で考えた。「仲良しの程度が甚だしいもの」と考えた。ああ、作風によっては「仲良し」と違うものはあったが「潜在的には仲良しの程度が甚だしいもの」という理解をしている。愛し方がわからないから暴力(またはそれに近いもの)に走るのだ。
子供がいくら嫌がってもヒゲをジョリジョリする男性諸氏と、創作作品における非合意の諸々は同一であった。フィクションだし。