bubble💬
泡粒のように浮かび上がっては消えていく言葉たち。
何のために語るのか、何のために紡ぐのか。
「もっと自己主張をした方がいい」と言われて何年も経つ。
「もっと怒るべきだ」という言葉は何人にも言われている。
彼も私も「そんなことを言ってもなあ」と舌を噛む。
意味のないことはしない
私や彼は、意外と自分の話はしない。
よく喋る方だが、喋る内容は客観的なこと、一般的なこと、無難なこと。
自分自身の内側から、自分自身を伝えるのとは別のこと。
表裏があるわけではない。単に意味がないと思っている。
「理解されない」
ASDは知的障害ではない。知的障害のASDは存在するが、ASDが知的障害というわけではない。私はASD傾向だが知的障害とは限らない。
物事が素早く理解できないのは、他者の発言が私にとって不可解な雑音に塗れている事が多いからだ。とっさに素早く、相手が何を考え、何を期待しているかを読み取ることができない。価値観の差、思考の差、知識の差。それを踏まえて判断を下すのには時間がかかる。
情報が足りないこともある。私と他人では違う存在だから、持っている知識や考える傾向も違う。まあ、つまり「私がASDである」+「私が相手の言うことを即座に理解しない」=知的障害であるという発想に至る他人があまりにも思い込みが激しいのであるが、それを確認し、指摘することには意味がない。
そんな一部分を指摘したところで、別の「無理解」が生じるだけだ。
他人は無理解である
私は他人を100%理解することができない。
他人も私を100%理解することができない。
では、10%、1%くらいなら理解できるだろうか?
分からない。
一体どこで「理解された」と決めることができるのだろうか? 主観か?
であれば私は「誰も誰かを理解できない。自分自身ですら」と言い切る。
「無意識」の領域がある限り、誰も誰かを理解できない。自分自身ですら。
理解されない、理解できない
「理解」と呼ばれているものの大半は「考慮」である。
真の理解など存在しない。客観的に証明してくれる基準がないからだ。
私達は理解されない。私達が理解できないように。
だから私は語らない。私について。私がどう思うかについて。
そんなものは意味がないと思ってしまう。
自分の考えや気持ちを述べること
軽視・罵倒されることと同じ。尊重されないことと同じ。
「あなたに価値はない」と言われる一歩手前。
だから、意味がない。