今年もあと1日と少しです。
色んなことがあったなあ。「激動」とは、この事を言うのでしょうか。
交流とトラブル
私はトラブルが嫌で交流を避けてきました。
私自身が交流するのが良い結果につながるとは思えませんでした。
今も「結果」を見るならば悩ましいところです。
励まされたり、助けられたり、良い経験はしているのですが、悪い経験も同時にしています。ですから、「結果」としては悩ましいのです。
挑戦の足跡
問題が起こる背景には、交流を増やしたという事情があります。
トラブルの数は交流の数に対して1%くらいです。大体いつもそうです。
たった1%?と思うかもしれませんが、この1%の破壊力は強烈です。
ちなみに大体1%は嫌な人や理不尽な人です。どこに行ってもそうなります。
ああ、なんだ。たったの1%か。なら気にしないでおこう。とは。問題の内容によっては中々なれないもので、年末のおめでたい時だというのに、ため息が止まらない日々を過ごしております。
障害
思い切って障害を公表してみましたが、効果の程はよく分かりません。知ったことかと思いながら関係を切るに切れない人がいるのではないかなあと考えたりしています。
私は、健常者も障害者も、どちらも困っていれば助けられるべきだと思います。それぞれの人の苦しみは、他の人の苦しみによって批判されたり抹消されたりするものではないです。
とはいえ、批判を解決策とするのは看過できないと感じております。
苦しみを理由に誰かを罵倒したり、傷つけたりすることは許容されるべきではありません。それは健常者も障害者も関係なく、人間全てがそうです。
今後について
今後、私は自身の困りごとや障害を公開する方向に舵を切っていくのではないかなと思います。
これには不安も伴いますが、必要なことであると思います。
社会は私が思うよりは寛容であり、けれど、まだ対立が根深いところもあり、障害のあるなしに関わらず痛みは減らしていきたいと思います。
私はただの「存在」です。
人はみな、障害があるかどうかの前に「存在しているもの」でしかありません。この事実を私は少し、広げていきたいなと思っています。
総括
今年は良い年でした。暗い部屋から出て、明るい世界を見ました。
明るい世界にも暗いところはあって、沢山の問題に遭いましたが、外に出たからこその問題だろうと思えば受け入れられる――ほどでもありません。
呻き、苦しみ、涙し、憂鬱に押しつぶされそうな日も度々ありました。
助けていただいたり、励ましていただいたり、楽しませていただいたり、楽しんでいただいたり、なんとか生きてこれたのは皆様のおかげです。
私はきっと世間的に変な人ですが、変な人です。どうぞよろしく。