二次創作は二次創作である
どれだけ二次創作者がオリジナリティ(独自性)を加えたとしても、二次創作物の「親」がオリジナル(原作/一次創作)であることからは逃れられません。
お店で食材を買ってきて料理をし、お腹に入れたとしても、食材を作った人は変わりません。消費者は消費者であり、一次産業者になることはできません。
「コンビニで牛乳を買った。よってこの牛乳の生産者は私である」
と言っている人がいたら、何を言っているんだ?と思うでしょう。それと全く同じことです。牛乳パックに記載されている生産者や工場の名前が、購入と同時に書き換わるなんてことはありません。
※一次要素(原作要素)を削除したり、部分的に利用して「一次創作になるようにしっかり修正する」という場合もありますが、今回は「二次創作として一次創作を発表している」や「二次創作を一次創作と同一視している」という問題について話しています。
よくある「二次創作がオリジナルである理由」
オリジナル要素が入っているので、オリジナルだ。
「独自性があるので、一次創作だ」ということですね。
繰り返しになりますが「二次創作は二次創作です」
「独自性のある二次創作」と「一次創作」は全くことなります。二次創作をアナロジー(類比)で説明すると、塗り絵に例えることができます。
塗り絵と二次創作の類似点
塗り絵は、元となる絵があり、それを元に色をつけて完成させますね。しかし「塗るための絵」としては最初から完成しています。
人によっては、お手本とは違う色を塗ることがあるでしょう。しかし、他人と違う色を塗っているからといって、「塗るための絵」を自分のものにすることはできません。
塗り絵は塗り絵であり、「元の絵」と「塗った色」の両方によって完成されるものです。
同じように「二次創作」は「原作要素」と「独自性」の両方によって完成されるものです。「独自性」だけを根拠に「二次創作ではない(オリジナルだ)」と主張することはできません。
二次創作者の独自性そのものは理解され、尊重されるものですが、それを「一次創作」として扱うことはできません。なぜなら「二次創作は二次創作」だからです。
時々ある「オリジナルでやれ」と言われる二次創作
私の二次創作は、独自性が強すぎるかもしれないが、原作のキャラクターや名称を用いているので、二次創作であると言っていいと思う。
具体的にしましょう。「オリジナルでやれ」と言う側の意見を見ます。
「パロディ」は二次創作の表現として認められるが、あまりにも原作の要素がない場合、それは「パロディ」ではなく原作のキャラクターや名称を盗用した一次創作であると思う。
「原作にないものを取り入れる」のは独自性の一つであり、二次創作の魅力の一つだが「原作とあまりにもかけ離れたものを説明もなく、あるいは十分な説得力なく取り入れる」となると流石に注意書きの一つくらいはほしい。
二次創作は楽しむために行なわれる。二次創作をする人自身が楽しむのはもちろん大切だが「自分さえ楽しければいい」が行き過ぎて「原作に対する踏襲や敬意は二次創作に必須でない」という振る舞いになるのは問題だ。
共通しているのは「原作の要素が十分でない」という判断です。重要なのは「原作を気にしている素振りがあるかどうか」であり、原作要素がどれほど重視されているかについては個人の裁量です。
私自身はどうなのか
例えば私は、どちらかというとパロディや夢創作など独自性が明らかに高くなるものは好きではありませんが「原作要素を上手く活用している」と感じるそれらについては非常に大好きです。TS学園パロディもので「このキャラクター達でなければこの物語は生まれなかった」と感じる作品を見て感動したことがあります。
それと、これは少し楽しみ方が異なりますが、夢小説のデフォルトネームが食べ物の名前になっていて、そのままで読むと食べ物を口説いて取り合うキャラクターたちのギャグになるという手法については、思いついた人が天才だと思っています。
つまるところ私は「原作がどう拡張(解釈)されるか」が楽しみなのであり、「作者個人の独自性がどう出ているか」は二次創作の上では関心がありません。それを求める時は一次創作を見に行きます。分野が違うのです。
「二次創作には二次創作にしかない魅力や振る舞いがある」ということについて理解した上で二次創作をすることが非常に大切だと私は思います。
原作未読、原作の理解が浅い二次創作について
原作について詳しくなくても、素晴らしい二次創作を作る人はいますから、私は「原作に触れていない」だけを根拠に特定の二次創作を批判することはできないと思っています。
人には「立場」「知識量」「価値観」の違いがあり、これらが「解釈の差」を生み出すこととなり、解釈の差が二次創作の幅を広げていきます。
ただし「原作がある」ということについては一定の理解と尊重をしなければならないという価値観は多くの人に共通しています。これは倫理(モラル)の問題であり、法や権利の問題ではありません。
※原作を素晴らしいと思ったのであれば、原作に還元できるように原作を購入したりしてほしいというのは「経済」の話になります。今回は倫理に焦点を当てているため、触れません。ご了承ください。
モラルとは
モラルとは、身近なところではルールやマナーという形で表れます。
一定のルールやマナーを尊重し、守ることで、多くの人が楽しく問題なく過ごすことができます。もし、ルールやマナーを軽視し、守らない人が現れ、それに追従する人が増えてくると、環境自体がどんどん悪くなります。
これは「割れ窓理論」というもので説明することができます。
割れ窓理論
割れ窓理論とは、簡単に言うと「ちょっとした問題を放っておくと、みんなが問題を問題だと思わなくなって、最後には大きな問題が起こる(そういう環境が出来上がってしまう)」というものです。
窓が1つ割れた家を、誰も直さないで放置しておく。
この家の窓はいつも割れているな、と思った人が更に窓を割る。
窓が2つ割れた家を、誰も直さないで放置しておく。
この家の窓は割ってもいいのかも、と思った人が更に窓を割る。
窓が次々に割られていくが、誰も直さないで放置しておく。
この家は廃屋で、誰も気にしていないんだと思う人が現れる。
大きな犯罪に利用される(大きな犯罪が起こる)
これを、実際の二次創作に当てはめて例えると、以下のようになります。
「二次創作でも、独自性があれば一次創作だ」と主張する人が現れる。
同調した人たちが、自分たちは一次創作をしていると開き直る。
説得しても無駄だと思った人たちが、彼らを放置する。
「二次創作でも、独自性があれば一次創作だ」という誤解が広まる。
説得しても無駄だと思った人たちが、彼らを放置する。
一次創作の集まりに二次創作を持ち込む人が現れたり(分類の軽視) 原作のイラストを改造、無断利用した作品を配布したり売ったりする人が現れる(著作権の軽視)
ファンアートを無断で商品化する業者や、公式グッズのように非公式グッズを作って売る業者が現れる。(著作権意識が薄い人たちだからやってもバレないと思われているか、業者たちが理解していない)
どうでしょうか。「二次創作はオリジナルだ」という主張が、大変な問題だということがご理解いただけるでしょうか。
「二次創作でも、独自性があれば一次創作だ」であるならば――「クッションやアクリルスタンド、キーホルダーなどの"独自性"を持たせれば、それは業者のものであり、ファンアート(二次創作)の作者に敬意を払う必要はない」という都合が成り立ってしまうのです。
実際にはそんなことはありません。ファンアート(二次創作)にだって著作権は発生します。ただ、今回は法や権利以前に、倫理の問題について話しているので省略します。(著作権は非常に複雑なので説明しづらいのもあります)
まとめ
「二次創作は二次創作」です。その独自性は認められるべきですが、独自性があるから一次創作であるとはなりません。
「独自性(オリジナリティ)を守ったり尊重したりすること」と「二次創作ではない(オリジナルである)」と主張することは全く別なのです。