■深呼吸代わりになんか書こう
自分が知ってることを書いておこうかなって……。
こんな生き証人みたいな状態になるとは思わなかったよ……。
あいかわらずクソ長ですが15分くらいで読めると思います。長いよ。
簡単に
「我々だ」は「グルッペン氏が知り合いとHoiを遊んだ」のを原型にできた実況者グループ
発起者のグルッペン氏は「我々だ」を元々「彼らは架空の人物で、中の人は声優」と言及していた。
現在の騒動について分かることは少ない。推測が飛び交っているが、どれもウワサでしかない。
「実況者グループ」がビジネスモデルや会社組織のようになるのは今に始まったことではない(先駆者としてMSSPがある。というか彼らがゲーム実況というものを一般的にしたし、彼らも自分の事務所と一騒動あった)
あと蛇足
修正:「■二次創作について」の灰色部分を直しました。
■まず「我々だ」って何
原型となるのは「2015/4/14 【HoI2】知り合いたちと本気で戦略ゲーやってみたpart1【マルチ実況】」と思われる。更に古い動画として「ギスギスクラフト(ギスギスしたMinecraft)」があるのだが「我々だといえばHoi(メンバー間での合意ある闘争と、それに含まれる歴史的知識)」という人が体感、初期勢には多いと思うので「原型はHoi」ということで進める。
※見る場合はそのまま楽しんで。騒動に動画を巻き込まないでください。
なおグルッペン氏としては知り合いとの活動を続ける予定はなかったのだが、コネシマ氏が継続の意志を示したためグループとしての活動が決定。
そこからの経緯は私視点だと正確ではないが「立ち絵がつき」「"自分役の声優"のような概念」として「ナマモノのようでナマモノでないキャラクター」として立ち、「あらゆる創作表現に寛容」という二次創作に対する声明も出し、夏コミ参加時には明確に二次創作ルールを定めた。
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「○○の主役は我々だ!」に関する二次創作ルール(2019年7月版)
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■基本方針
「○○の主役は我々だ!」に関するリアル、ネットを問わないあらゆる
逸脱も含めた二次創作表現を全面的に歓迎しています。
利用者間では
・どんな創作表現にも、とてもおおらかに
・各人の解釈や方針に干渉しない
・作劇上、我々だの中の人の感情や事実を配慮せず、忖度もしない
という方針で運用をお願いいたします。
※各サイトにおいて動画での収益受け取り等は自由です(2019年7月追加)
■禁止事項
「○○の主役は我々だ!」に関する自由な創作表現の継続を保護するために、以下の禁止事項を定めます。
・「ハーケンクロイツ(鉤十字)」を扱った一切の装飾表現(卍マーク等文脈によっては誤解与えるものを含めます)
・公式のロゴの利用等によって企画そのものを「○○の主役は我々だ!」公式が行っているかのように明確に誤認される表現
■注意してほしいこと
コスプレなど「どこで何の表現をして良いか」はそれぞれの場を提供する主催者によって制限されていることがあります。
そうした場で発表をする場合、主催者の定めるルールを優先してください。
■分からないことだらけで、やはり沈黙するしかない
情報を正確かつ早く得られるのは内側のほうなんだけど。
←外側|リスナー|国民(ch会員)||関係者||演者|権利者|→内側
そして
全員に情報の差がある。
・関係者各位(作家やコラボ先)
何も聞いてない(肝試しのメンツは変わらないらしい)
事実関係の確認をしている(とりあえず現状のものに影響はない)
・「我々だ」運営
そもそもここは全く情報がない。
グルッペン氏が「裏方に回る」とは言ったものの1人でこなすのは現実的ではないだろう。「名もない裏方のスタッフ」が何人いるのか、どういう状況なのか「誰がどれだけ把握しているのか」明確ではない。
推測はできるかもしれないが、推測は真実ではない。
・「我々だ」権利者
最も渦中で、もっとも注目を集めているであろう人物(または組織)
KADOKAWAやドワンゴではない。これは推測による攻撃がKADOKAWAやドワンゴにいかないように言及してくれたのだろう。
・国民
生放送やブロマガなどの断片的な情報から、あれこれ考えて話している人がいるが「そのどれもが推測でしかない」ことには注意が必要である。
中には「グルッペンは借金をしている」という話もあるが、これはあくまでも「初期のころに」の話だし、借りた先についても家族なのかそれ以外なのかをリアルに特定できることはないし、「してはいけない」
ファンはファンであり、ストーカーではない。ストーカーになってはいけない。当たり前のことだが。
・リスナー
ニコニコ内の我々だチャンネルに投稿されたブロマガによると「組織再編の最中で、演者の皆さまと契約更新の必要があった」とのことである。
あとは鬱先生のX(Twitter)にある「お詫びとお知らせ」から得られることしか情報はない。頑張れば他の人達がまとめた我々だエピソードや切り抜きを見ることで情報は増えるかもしれないが「どれも噂話にしかならない」
・国民/リスナー共通
当然だが「身バレ」などのトラブルを防止するために彼らは重大なことについては伏せているし、ウソも大変にある。
「リスナーを楽しませるために喋っていた内容」から「騒動のヒント」を探すのは勝手だが、本当にそれがヒントかどうかは怪しいものだ。
つまるところ「何も情報がない」
ファンはファンであり、ストーカーではない。ストーカーになってはいけない。当たり前のことだが。
■「演者」について
今回の騒動について説明したブロマガにおいて、メンバーを「演者」と表現したことに強い批判が集まり「メンバー」と変更したようだ。
私としては「演者なのは周知の事実だったのでは」と思っていた。なぜなら「グルッペン氏がそう言及した」からだ。
さて、今回は私が「我々だ!メンバー」という「キャラクター」をどう位置付けているのか、そして、それをどういう思想的基盤でソレを扱っているのか・・・というお話をしようと思います。一言で結論を言ってしまうと、私は「我々だ!メンバー」を「アニメキャラクター」のような存在だと認識しています。即ち、彼らは架空の存在であり、中の人は声優に過ぎないという事です。つまり、「トントン」や「コネシマ」といったキャラクターは、「アニメのキャラクター」と同様に、架空の創造されたビジュアルを扮し、ゲームという架空の世界で活動をする存在に過ぎない、そして、その架空のキャラクターは「声優」によって命を吹き込まれている・・・という考え方です(先架空主義と呼ぼう!既存の「人の後にキャラが出来る」という既存の実況者像のコペ転だから!たぶん、しらんけど)。このように考えると、我々だ!の「登場人物」は非常に「アニメキャラクター」に近しい存在であると思うのです。我々が投稿する所謂ゲーム実況動画は、一種の「アニメシリーズ」という訳ですね。私はそのような意識の元、彼らを扱っています。
なお「2017-04-15」の記事だそうです。泡吹いて倒れる。
私が見始めたのはゾム氏が新人だったころである。ろくに紹介されなかったのでキャラを立てようとして過激な振る舞いをしていたら過激キャラが定着したが、本人は過激キャラやサイコパスではないつもりのようだ。
この辺は「魔界の主役は我々だ!」のボンベ・ゾムを見ていると感じるものがある。あくまでも「遊んでいる」のであって「遊びの領域を超えてしまうと不安になったり焦ったりするし、自分の遊び方に周りがついてこれないことを気にしている」というのは実にそれっぽい気がする。
■休憩:ボンベ・ゾムが好き
分かるよお。
などと突然いうと気色悪いので、通常はちゃんと壁を作っているが、ここではあえて話そう。
分かるよお。
自分は遊んでいるだけで、そんなに凄いことをしているつもりはない。
もちろん、傷つけたり苦しめたりするつもりだってない。
あくまでも「遊び」の中だからこそ、楽しんでやっているのであって。
本気で傷つけようとしていると思われたり、いじめていると感じられたりするのは悲しくて辛いのだ。申し訳ないのだ。
そして「そうならないように」できるだけ常識的であろうとする。
それでも「本能や本心からくる遊び心」には勝てない。本気で遊び、本気で受け止めてくれる仲間がいることは掛け替えがないのである。「この人たちは俺を誤解しない」というのは何者にも代えがたい。
分かるよお……!!
※私はごく軽度のASD特性があります。「心がない」とか「他人を思いやる気がない」とか言われがちなのですが、単に「空気を読めない」のです。
もっと言えば「周りの声や表情の変化が何を意味しているのか読みとるのがとても下手」なので、空気が読めなくなってしまっているのです。精神的なレンズが生まれつき曇っていて、解像度がめちゃくちゃ低いのです。
※当然ながら本当にわかるわけではありません。わかる気がするだけです。いわゆる「親近感」です。勘違いの可能性もあるので普段は壁を作ります。
■二次創作について
ここまで見て、気づいた人もいれば、知っていた人もいると思うのですが。
「我々だ」をナマモノ(nmmn)のルールで縛ってはいけないのです。
しかし、巷では「我々だ」をナマモノ、つまりは実在人物として扱い、伏せ字や隠れることを強制するために怒るようなファンが存在しています。
件の記事が出たのが2017年ですから、何度も「グルッペン氏の考え方として、我々だは架空の人物なので、ナマモノとしての自重は必要ない」「メンバーの中には二次創作を積極的に楽しんでいる人だっている」という説明がリスナー同士で行われたりもしました。
しかし、一部が知っての通り、聞く耳を持たない人も多く、さらには「従わないと嫌がらせをされてしまう」ので従っているという人も現れました。
我々だのルールを守っているのに、なぜかリスナーのルールで怒られるという状態ができました。
私もそういう「空気」や「気配」はさすがに感じることができます。あらゆる動画や作品にまで「伏せ字にするべき」「検索避けをするべき」と集まって暴れる人たちがいたので、私は我々だの二次創作は危険だと思ってやめました。
これは昔の話ですが「いくら伏せ字にしようが見てるからな」と言及したメンバーがいて「そういうことを言うとよけいに隠れるからやめろ」と他のメンバーがツッコミを入れたこともありました。自分たちのFAを見たいのに見れないのはどんな気持ちなのか。
よく「ご本人様のことを考えて……」と言及する人がいますが
・どんな創作表現にも、とてもおおらかに
・各人の解釈や方針に干渉しない
・作劇上、我々だの中の人の感情や事実を配慮せず、忖度もしない
つまり「メンバーの感情や事実について配慮はいらないよ!捏造大歓迎!」というのが示唆されています。ただ、恋愛表現やR-18(G)を何の配慮もなく投稿するのは一般的なマナーや「主催者の定めるルールを優先してください」に反するおそれがあります。
今思うと我々だってVtuberの先駆けみたいなものだったんですかね。我々だに限らず、ガワと声で分かれてる人はいたと思いますけど、明確に「ガワと声です」と宣言されている実況者というのは珍しい気がしました。
■調べましょう、聞きましょう
自分の思いこみだけで動くのは、とてもキケンなことです。
他の人が言っていることは正しくないことがあります。とくに証拠(しょうこ)がない場合。
法律はちょっと調べたらわかるものではありません。倫獄先生のような専門家がなぜいるかというと、難しいからいるのです。何年もべんきょうして、分厚い本や、裁判所の記録などと向き合っているのです。
今、よくもわるくも興奮(こうふん)してしまうのは分かります。
悲しかったり、苦しかったり、悔しかったり、怒りたかったり。いろいろあると思います。
「早く説明しろ」と言われて説明したら「聞きたくない」とか「もっと詳しく言え」と言われてしまうチャンネル運営にはさすがにちょっと同情します。これは大人として、例えるなら「親に逆らえない子ども」に対する同情と似ています。
大人にも、子どもに対しての親みたいに「逆らえない大人」がいます。
「社長」とか「世間」とか「上司」とか「契約」「規約」とか。
大人には大人のルールや立場、力のつながりみたいなものがあります。
「権利者」をチャンネル運営と決めつけている人もいますが、本当にチャンネル運営は権利者そのものなんでしょうか。
たとえば「権利者」というのが「校長先生」みたいなものだとしましょう。
学校のプリントは、校長先生だけが作っているわけではないですね。
学校のべんきょうは、校長先生だけがおしえているわけではないですね。
今、なんにも分からないんです。怒りたくて、悔しくて、悲しくて、思わず喉がひりひりと焼けるようになって、顔が熱くなって、叫びたい気持ちを指先にぶつけたいのは、分かります。
■言葉や気持ちをぶつける前に
何かに言葉や気持ちをぶつけた後に、みなおしてみてください。
あなたの、その「ぶつけたもの」は読みやすいですか?
「そうだなあ」とか「なるほどなあ」と、落ちついて読めるものですか?
「落ちつかせたくない」「いかりがあるのを伝えたい」と思っている人もいるかもしれません。「落ちつかせたくない」のは「なぐりたい」と似ています。分かるけど、やっちゃだめです。向こうは向こうで、動かないといけません。
「怒りがあるのを伝える」ために「言いたいことがグチャグチャになる」のはよくないです。「そうじゃない」と後から言わなくてもいいように「本当は何が言いたいのか」をまとめましょう。心ゆくまで、なっとくいくまで、自分だけのノートやメモに書いて書いて書いて、自分のきもちをせいとんしてみましょう。深呼吸や、のみものも忘れないでください。
相手はわるいひとだ、とか。
相手は仲間じゃない、とか。
「そんな気持ちのために、伝えたいことをグチャグチャにしないでください」
「伝えたいことは、伝えたいこと」「気持ちは気持ち」で分けてみましょう。
そこから「伝わりやすいこと」を作りあげてみましょう。
■補足としてのおまけ
自分の話なんですが。
私は「言語性IQが120ある」つまりは「言葉を使うのがとてもとくい」です。
IQというと「頭のよさ」と考えるひとが多いかもしれません。
じつは「とくいなこと、苦手なことを数字にしたもの」がIQです。
さて。
私は「言語性IQが120」なので、言葉を使うのがとてもとくいです。
けれど「推理IQ」や「作業IQ」が100未満――ふつうのひとたちよりも低くなってしまっています。
これが、どういうことかというと「言葉を使うのはとくいなのに、何をどうやって話したらいいかを考えるのは にがて」「話したいことがあるのに 何を話したいのかが 自分でまとめられない 分からない」ということです。
そこで、どうするかというと「文字にします」。
こうやって、文字として、考えていることを書くことで、頭の中だけで考えなくてよくなるので、おちつきやすくなるのです。
これは「カバンの中身を片づけるとき、カバンの中で片づけるより、カバンの中身を一度全部出してしまったほうが片づけやすい」のと似ています。
一度、全部出してしまってから、片づけてみませんか。
■追記:エンブレムについて
以下を見るのが早いと思います。「我々だ」がどうありたかったかが記載されています。私はあいにくこの辺での熱狂はしてなかったので存じ上げない部分が多いです。なので見ていただくのが早いです。