友達と一緒にコメダに行った。コメダ珈琲には、シロノワールという看板メニューがある。大きく、分厚く、ほかほかまんまるなデニッシュ生地の上に、ソフトクリームとメープルシロップが乗っている、とてもおいしい食べ物だ。毎月限定版を出していて、季節の果物や有名なお菓子をテーマとした姿になるシロノワールを、その子とはよく食べに行く。そして、毎回5時間くらい居座る。今日は13時から18時半まで話していた。コメダの恐ろしくなるほど巨大なメニューとそれにふさわしい値段は、時間と空間のためのものだと、わたしたちは考えている。
5時間半のうちに、いろいろなことを尋ねた。うるう年って何のためにあるの?三月生まれの人も同学年になるのっておかしくない?麻雀のルールがちっともわからない、ツモって一体何?そういうくだらなくてしょうもない問いに、友達は真っすぐ向き合ってくれる。私が訊くたんびに、持ちうる知識で説明を試み、わたしの理解がいまいち進まなかったり、十分な知識が足りなかったりすれば、スマホで調べ、自分なりに読み解いたうえで、わたしにまた教えてくれる。ほんとうにすごいと思う。そこまでしてくれる人って、わたしの知る限りではその友達しかいない。勿論わたしにもできない。誰かと話していて、問いが生まれて、それがわたしに分かるものであれば説明はするし、わたしの興味にも引っかかるものならば調べもする。相手も同じ。でも、それを一度吸収してから解説するって、なかなかできるものじゃない。その手間をあたりまえにしてくれるって、すごいことだ、と、今日しみじみ思った。わからなければわかるまで根気良く教えてくれる。こんなにも真摯に向き合ってくれるって、なかなかないことだぞ、と。気付けて良かった。一生知らずに終わらなくてよかった。