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自分の顔を好きでいられる理由

名雪
·
公開:2026/8/10

 私の両親は、私の容姿、つまり生まれ持ったこの身体を、一度も否定したことがない。

 もちろん、病的に痩せていた時期(といってもBMI17程度である)や、短期間で一気に太った時には何か言われた。しかし、それは「そんな見た目ではだめだ」という話ではなく、単純に健康や生活を心配してのことであった。

 Twitter(X)を見ていると、「親というものは子供の容姿に対して無神経なことを言うものである」という前提のツイートを結構見る。しかし、私は今までの人生で、そういう経験をしたことが一度もない。

 これは、ありがたいことなのだろうと思う。

 もちろん、自分の装いについて小言を言われたことは何度もある。私は両親にとって最初の子供であり、私の存在は彼らにとって何もかもが初めてだったはずである。そこへ、娘が上京して、クラゲウルフなどという髪型にし、インナーカラーを入れ、紫だの青だのピンクだのに髪を染め、サブカルとも地雷ともつかない濃いメイクをして、奇抜な服を着始めたのである。

 そりゃあびっくりするだろう。

 当時の私は上京したばかりで、芸術系大学に通い、いわゆる大学病にもしっかり罹患し始めていたので、親の「奇異なものを見る目」と、それをやめさせようとする言葉が不快で仕方なかった。しかし、上京して三年以上が経ち、自分の装いについての思想もそれなりに固まった今になってみると、当時の両親の気持ちもまあ……少しはわかる。

 転機は、大学二年生になる直前だったと思う。

 両親から「軽い親戚会があるから横浜のホテルに来なさい」と言われていた。しかしその日は大好きな推しのライブがあり、どうしてもそちらを諦められなかった。そこで私は、

「その日はイベントがあるので、到着は夜になります。フリルがたくさんついた、ロリィタのような服を着ています。それでも行っていいですか」

と確認した。

 なぜこの文面で許可が下りたのかはいまだによくわからない。まあ、親戚会といっても両親、祖父母とその周辺くらいの小規模なものだったからであろう。

 というわけで私は、ライブ帰りの軽装ロリィタで、高級ホテル最上階のバーへ向かった。

 めちゃくちゃ緊張した。

 こんな非現実的な服装とメイクをして、高級ホテルの夜景の見えるバーに現れた娘を、両親祖父母はどう見るのだろうと思ったからである。

 しかし、いざ行ってみると杞憂であった。親戚は東京暮らしが長く、奇抜な服装にも比較的慣れていたし、そもそも少女趣味に肯定的な人たちだった。祖父母も「今日は華やかなイベントがあったのね」くらいの反応であった。母親も「その服、高いでしょう」といった程度だったと思う。

 そして一番驚いたのが父親の反応である。

 それまで私の装いについて母親以上に小言を言っていた父親が、私を見てこう言った。

「服も、ヘアセットも、メイクも。全部世界観が合っていて、良いと思う。ただ、バッグは変えた方がいいね」

 いや、正論である。

 当時の私はバッグまで揃える余裕がなく、あり合わせのものを使っていた。たしかに変だった。

 そして私はここでようやく気づいた。父親はずっと「お前にはその服装は似合わない」と言っていたわけではなかったのだ。

「TPOと、全体の様式を合わせなさい」

と言っていたのである。

 そもそも父親自身、若い頃の話を聞く限り、かなり人並み外れた人間だったらしい。高校の修学旅行に髪を立たせて行って教師に水をかけられたり、大学祭の後夜祭でDJをして反対組織に消化器を吹きかけられたり、就職が決まった途端にドレッドヘアにしたりしている。

 なんだそれは。

 彼自身、モラトリアム期にサブカルやアングラを愛し、「人とは違う」を求め、「自分」を探して、いろいろなことをやっていた人間なのだと思う。

 まったく、遺伝子には抗えない。

 ただ、私の主張は父親とは少し違う。

 すべての様式を合わせなくてもいい。チグハグなパッチワークにしか出せない魅力もある。私には私の、私のための表現方法がある。

 これはたぶん、時代の違いでもある。

 父親がサブカルやアングラを通過した時代と、私がインターネットを通してサブカルやアングラを知った時代では、同じ言葉を使っていても意味が違う。いくら父親がインターネットに精通し、SNSを使い、AIの活用方法を日々更新しているような超人中年男性であったとしても、現在進行形でその時代の先端にいる娘の感覚を完全に理解することは難しい。

 母親もまた別の形で時代の変化を観察している。TwitterやInstagramやTikTokからミーハーに情報を仕入れている人なので、むしろ父親より流行には敏感だったりする。しかし、それでも彼女らが今の若者の感覚を完全に受け取ることはできない。

 そしてたぶん、両親はそこに気づいたのだと思う。

 自分たちが理解できないからといって、そこに介入する必然性はないのだ、と。

 現に今では、私がどんな格好をしていても、「就活にそのメイクは合わない」とか「今日は涙袋が濃すぎる」とかは言われるが、私の装いそのものを根本から否定されることはない。

 今年から弟が大学一年生になり、実家からかなり遠い場所で暮らし始めた。卒業式が終わった直後にピアスを開け、実家を離れてから髪を金色に染めた。

 それでも、私が初めて髪を染めた時ほど両親は小言を言わなかった。

 むしろ、ちょっと面白そうに見ていたようにすら思う。まあ、私が当事者ではないからそう見えただけかもしれない。

 でも、これはきっと良いことなのだと思う。

 私という「初めて」を乗り越えた彼らが、変わっていく弟をそのまま見ていられるようになったのだから。

 そういえば、私が自分の「容姿」について初めて両親や祖父母から否定されたのは、中学一年生の頃だった。

 演劇部で男役をやるためにボーイッシュな格好をしていた時期である。特に祖母からは何かと言われていた気がする。

 しかし、それも私が演劇部に真剣に取り組み、校内で男役としてそれなりに成功していくにつれて、だんだん薄くなっていった。

 そう考えると、私の両親や祖父母は、私の「身体」そのものではなく、私が何をしているのか、何のためにそうしているのかがわからない時に不安になっていただけなのかもしれない。

 だいぶ話が逸れた。

 最初の話に戻ると、私は両親に、生まれ持ったこの身体を否定されたことが一度もない。両親だけではなく、祖父母や親戚からもそうである。

 私はモデルや芸能人のように突出して容姿が整っているわけではない。いわゆる身内贔屓というやつだろう。

 しかし、それが大切なのだと思う。

 自分の子供の容姿を批判することは、ときに自分自身の自己肯定感の低さを、子供にぶつけることになってしまうのではないかと思う。

 少なくとも私の父親は、自分の容姿にかなり自信があるように見える。

 歳をとって多少脂肪がついたとはいえ、今でも「イケオジ」と言って差し支えない人間だと思う。身内贔屓が入っていたら申し訳ない。しかし若い頃のモテエピソードを、私は耳にタコができるほど聞かされている。そしてそれは本人談だけではなく、親族や彼の友人たちからも聞かされているので、どうやら本当らしい。

 少女漫画のヒーローみたいなモテ方をしていたらしいし、その証拠として当時の写真も残っている。

 驚くほどの美少年である。

 そして母親も、驚くほど美形である。

 ハーフと言われても疑わないくらい目鼻立ちがはっきりしていて、適当にリップとチークを塗ればもう完成する。ここ十年くらい「ダイエットしないと」と言っている気がするが、私は一度も彼女にダイエットが必要だと思ったことがない。

 美しいからである。

 この二人は、お互いの顔が好きだという前提で付き合い、結婚している。そして結婚から二十五年目を迎えようとしている今でも、それはあまり変わっていない。

 私が「昔のパパはかっこいい」と言うと、母は「今もでしょ」と言う。

 私がテレビに出ている女優を見て「綺麗だね」と言うと、父は母の方を持ち上げて「ママの方がかわいい」と言う。

 そしてたぶん、その感覚が私たち子供にも引き継がれている。

 だから私は、自分の容姿を肯定することについて、少し楽観的なのだと思う。

 もちろん、すべての家庭がそうであるわけではない。「親に感謝しなさい」という言葉が常に正しいとも思わない。家庭環境は人によって違う。

 ただ、「親というものは子供の容姿を無神経に否定するものである」という言説については、どうしても少しだけ違和感がある。

 そうではない親もいる。

 そして、そうではない家庭もある。

 日本には無宗教の人が多い。キリスト教などでは、神という絶対的な存在によって「あなたは存在しているだけで価値がある」と肯定される感覚が、少なくとも思想として存在する。一方で、日本ではそういう絶対的な土台を持たない人も多い。

 そうなると、自分という人間の土台を最初に支えてくれるものは、結局、親や家族だったりするのではないかと思う。

 謙遜という文化がある。

 実に日本人らしい文化である。素晴らしい文化だと思う。

 ただ、謙遜するためには、その前提として「自分は本当は素晴らしい存在である」という感覚が必要なのではないかと思う。

 「いやいや、私なんて大したことないですよ」と言えるのは、「大したことない私でも、ここにいていい」という感覚があるからなのではないか。

 だから私は、親には子供の容姿を肯定していてほしいと思う。

 美人だから、かっこいいから、スタイルがいいから、という話ではない。

 あなたの顔はあなたの顔である。あなたの身体はあなたの身体である。私はあなたのことを愛しているから、それでいい。

 そのくらいの雑な肯定でいいのではないかと思う。

 そして私は幸運にも、それをかなりたくさんもらって育った。

 だから今、私は自分の容姿について、少なくとも「親に愛されるためには、この身体ではいけなかったのだ」とは思わずに済んでいる。

 それはたぶん、すごく大きなことなのだと思う。

 「親は子供の容姿をデリカシーもなく傷つけるものである」という言説を、私は覆していきたいと思ってしまう。

 これも遺伝子なのだろうか。

@uoxou_justice
罪の香り 神の裁き 夫婦を超えてゆけ