2023/11/16の日記(思ったこと)

upmountain
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 理系学問を学ぶ利点って、例えば空が青い理由を説明できることだよ

 といった趣旨の、無味乾燥なものではない!と理系学問の詩の心を仄めかす言葉は、よくみるのだけど、僕は「説明できる」という所にはちょっと懐疑的で

 レイリー散乱という現象が起きていて、地球大気では窒素分子の周波数特性から、昼は空が青く、夕焼けは赤くなったりする(同じ理屈で、火星の夕焼けは青かったりして)という説明を疑うつもりもあまりないのだけど

 でもこれは、(ありふれた指摘だけれど)説明というよりかは、リフレーズしたという方がきっと正確で

(違和感を根本的に払拭する手立ては、では説明するとは何か?という問いに答えることに帰着する気はするけれど、まあそこはとりあえずは置いといて)

 考えてみれば、不自然だ。説明するというからには、より納得する度合いが高くなるように言い換えなければいけないじゃないか。レイリー散乱やら周波数特性やらという語彙が持ち出されて、うんうんと頷く人がどの程度いるのか。ますます訳わかんなくなってるじゃないか。

 ではなぜ僕たちは件のややこしい記述でもって説明できた(された)気になってしまうのか。思うにそれは、自然の斉一性原理に基づく世界観に無事組み込むことができたという腹落ち感故じゃないかな。

( とすると、やっぱり中世の神学の徒を笑ったりはできないなあと思ったりもする)

 なんでか知らないけど空は青くて、ときどきその青さに人は憧れるらしい、というところに留めておいた方が、人間としてはプリミティブな在り方なんだろうなぁ。その是非はまあ、やっぱり置いといて。

 (まがりなりにも)理系やってるんだから、世界を説明するとは、ということには常々気を払っていきたいなぁ。常々は嘘だな。まあ、たまには気をつけるようにしたい