今日は、公開が始まった映画『死亡遊戯で飯を喰う。44:CLOUDY BEACH』を見てきた!
TVアニメの続き、原作小説版だと3巻にあたる内容で、白士の意志を継いで30の壁も越えた後の幽鬼の、44回目のゲームが描かれている。(結構前だが)自分は原作も読んでいるので、その前提で。
全体的な印象としてはTVアニメとそう変わらずで、「映画版だからここがすごい」というよりは「この作品の音や時間の使い方は劇場で見ることに一定の意義がある」という方が近いと思う。静止画で音声のみの表現がされたりもするので、音響や集中できる環境が重要な作品だと改めて感じた。上映時間は90分程度とアニメ映画としてはそれなりにあるが、原作も1巻分を使う長尺なので、大胆なカットや改変が数多くなされていた。
タイトルのゲーム「クラウディビーチ」の前に、冒頭では別のゲーム「ワンファインデイ」が少し描かれる。舞台は原作通りだったと思うが、ゲームの内容は違っていて、これはTVアニメ版から一貫した幽鬼の内心を深く描く方針によるものだろう。無機質で直接的ではない残酷さのある映像になっていて、本作らしさを感じた。
さて「クラウディビーチ」について。絶海の孤島に集められた8人のベテランプレイヤーたち。ゲームは脱出型かと思われたが、次々と殺人事件が起こり……?というのがあらすじになる。作中でも人狼に言及がされているが、特に原作では人狼のような、ミステリのような雰囲気で、定期的に集まって誰が犯人かを推理し合われたりもする。なので特殊設定ミステリとも捉えられるエピソードになっている(自分はミステリとしてはあのオチはどうかと思ってはいるが……)。
一方でこのアニメ版ではそういった描写は控えめで、登場人物も大事な数人に絞り、その他の露出は減っていた印象だ。特に顕著なのが自己紹介で、喋っているときに顔すら映さないのは流石に大胆すぎる(興行的な視点だと、一応キャラのグッズ売ってるのに……)。そうしてミステリ風な要素を減らす代わりに、幽鬼の心情描写を増やしたり、藍里とのやり取りを増やしたりしていた。TVアニメまでのゲームやそこで受けた影響を思い返す、より地続きな描き方になっていた印象。
藍里は原作でも度々登場しているキャラではあるが、(記憶が正しければ)原作にはないこの映画の山場とも言えるシーンもあって割と驚いた。思えばTVアニメ版の頃から描写が増やされていた人物だったな。最新10巻が藍里にスポットを当てた回というのも多少関係あるのかも。
TVアニメ版では、有力なプレイヤーの白士/伽羅/御城らが既に死亡ないしはゲームを引退した。幽鬼は白士の意志を継いだが、本作では同様に彼女らの弟子たちがゲームに登場してくる(前述のように露出の減って印象の薄い人物もいるが)。幽鬼同様に各々が弟子として師匠がいない今どう生きるかを定めてゲームに参加していて、そこが1つの見所だろう。特に犯人は、その正体が判明してから、彼女の視点になって章カウントもリセットされる(この演出は本作らしくて良い)。その生き方は、当然幽鬼との比較になっている。最後の戦いは割とあっさりだが、そこは別に重要ではないと思うのであれくらいでいいと思う。
「クラウディビーチ」は長尺のゲームだが、その後に後日談がある。原作ではそれほど文章量は多くない会話なのだが、それを間を取ってじっくり描いていくのがこのアニメ版らしさを感じる。ここで幽鬼がTVアニメ版の結論である「師匠の意志を継ぐ」の更に一歩先に進む様子が描かれた、と受け取った。
個人的にはこの後の「玉藻編」が特に好きなのでできればここも映像で観たいのだけれど、まあすぐには難しいかな……気長に待ちます。