自己紹介で趣味について話したとき、例えば「アニメを見るのが好きです」と言ってみたとして、自然な流れとして「どんなアニメが好きなの?」と聞かれて答えに詰まる。そういった経験はないだろうか。もちろんアニメが好きなのは本当だし、好きなアニメとして思い浮かぶ作品はいくつもあるものの、その中から瞬時に選ぶとなると難しい。(作品の知名度的に伝わるかという懸念もあるが)具体的な作品を挙げることで、相手の中で「○○って作品が好きな人」としてラベリングされてしまうと思うと、迂闊には答えられない。
ちょうどそんな話を「食べ物」という全人類に関係する話題で展開していく、『好きな食べ物がみつからない』というエッセイ本を読んだ。
「あなたの好きな食べ物はなんですか?」という質問には、ちょっとした大喜利、あるいはセルフプロデュース的な側面があるのではないかと著者は語る。自分も、特に後者は事実として「何が好きか」だけでなく、「何が好きな人として自分を見せたいか」が関わってくる(関わってきてしまう)のが難しいところだと思う。
序盤、参考のためにサンリオのキャラクターの自己紹介を見ていくというのが面白い。ハローキティの好きな食べ物は「ママが作ったアップルパイ」だそうだ。ただの「アップルパイ」ではないところに、食べ物の話題ながら家族仲の良さまで匂わせてきて、流石すぎる。
その先の章では、著者自身が「好きな食べ物」を決めるために、候補となる食べ物のことを追いかけていく。その食べ物に関する気になっていた店を訪れたり、その食べ物との思い出を振り返ったり。一つ一つの食べ物にしっかりとした思い入れがあり、興味の深さと広さがすごいな……と素朴に思ってしまった。まあこれは、自分がやや食への興味が薄い方だからかもしれない。
ただ、そうやって好きかどうかを見極めるために行動していく中で、著者にとって新しい体験、新しい知識がどんどん入ってくる様子がよく伝わってくる。形からでもいいので「何かを好きな人」になってみると、自分の世界を今までより広く、豊かにしてくれることってあるよなぁ。
途中で「好きな食べ物」の頂点を決めるために項目を決めて点数化してみたり、逆に深い思い入れのある食べ物はそういった補正が入っているので純粋に食べ物としての好き嫌いで判断できていないのではないか、と言い始めるところも面白い。思い入れの強さ故にフェアに判断するの無理だな~と思うというのもあるあるだ。
著者はとことん迷った末に、どんな自分でいたいか、「○○が好きな私」を自分が好きか、で最終的に好きな食べ物を決定していく。そうやって「○○が好きな自分」を自分で選び取ることは、自分に魔法をかけるようなものだと著者は語る。「好き」を決めておき、表明することで、他者からもその情報が入って交流のきっかけにもなるし、自分でもその気持ちを機転にした行動が生まれてくるという。
読んでいて同意する部分も少なからずあったが、(あえて言うなら)最終的な決め方が「食べ物への純粋な好き」ではなく「それを好きな自分自身」の方に目が向いているのが自分は若干気になった。もちろん、前提として大好きな食べ物たちを選別し、最後の決め手に欠けるという状態なので、嘘でも何でもない真実の好きではある。他人に語ったり表明する以上は、セルフプロデュース的な目線が入ってしまうのも避けられないかもしれない。それでも、例えば初対面の人に話すのとは別にした、自分の心の中の「好きな○○」は、最後の最後まで「純粋な好き」だけで選びたい、「純粋な好き」の存在を信じたい、という気持ちが自分にはあるようだ。読書を通し、自分の思想に対して謎の気付きを得てしまった。
自分は普段こういったエッセイは読まないのだが、タイトルに惹かれてこの本を選んでみた。Audibleで聴いていたのだが、エッセイというジャンルの文章の口調や(いい意味での)内容の軽さはAudibleと相性が良い……気がする。