劇場版スタァライト
今日は新文芸坐で劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライトのライティング上映を観た。ライティング上映については以前ブログにも書いたが、今回は何か月か振りの2回目。前回同様、シアターに入る前から楽曲や展示で雰囲気作りはバッチリ。前回より少し後ろの座席を取ってみたところ、視界に入るライトとスクリーンのバランスがちょうど良かった。ライティングに関しては、要所での光が以前より強く、メリハリが効いているように感じた(気のせいかもしれないが)。劇場版スタァライトを観ること自体も久しぶりだったということもあり、全体としては非常に良い体験だった。
さて、劇場版スタァライトに関しては何度も観ているのにまとまって語ることができていなかったのが若干の心残りなので、改めてここに(さらっとだが)書いておこうと思う。「列車は必ず次の駅へ では舞台は?あなたたちは?」というフレーズがあるように、本作の主題は幕を閉じた物語のその先を描くことであり、それは登場人物の"人生"を描くことでもある。では、虚構(物語)ではなく現実の人生を生きろという話をしているのかというと、そうではないと思う。「列車は必ず次の駅へ」とあるように、むしろある物語を終えたら(ある舞台を演じ切ったら)次にまた物語が待っている、それを繰り返すのが人生である。ポジションゼロとは自分の物語・舞台の主導権を握ることであり、自分の人生を自分で決断していくことだろう。
本作で大いに掘り下げられたのが愛城華恋というキャラクター。彼女は、TV版の物語を演じているときは迷わず突き進むことができていたが、その先を見つけられていなかった。過去の人生を振り返ると、神楽ひかりとの約束から彼女の役者人生は始まり、順調な経歴で聖翔音楽学園には入学したものの、神楽ひかりが入学するまで(そして入学しなかった世界では)力を発揮することができていなかった。それは、二人の約束を本心では信じられなくなっていて、彼女が舞台に立ててなくなっていたからだと思う。では、約束を果たし、物語を演じ終えた華恋に何が残っているのか?確かに約束は彼女の指針だったが、それが彼女の全てではないこと、不安や嫉妬、隠し事、色々な感情を抱えた一人の人間であることが、彼女の過去の描写からわかる。そうした過去を燃料とすることで、次の舞台に立つ理由を持つ、新たな舞台少女として生まれ変わったのだろう。人が力強く生きるには物語(舞台)や目的が必要であり、過去の何かに満足して足を止めることは停滞である。舞台に立つには燃料(原動力)が必要であり、約束や過去の感情、他者がそれになってくれる。そういったことを描いていたように思う。個々のレヴューに触れればいくらでも書けそうだが、今回はこのくらいで。