季節柄、目につきやすいストールや手ぶくろや帽子の落とし物を見かける時期になった。見かける、ということは誰かが「ここにあるよ」と提示したということだし、目につく場所の選び方に正解している証拠に他ならない。見えないまま落ち葉やなんかと一緒くたになりかけていたふゆものたちを「落とし物」から「誰かのもの」へ昇華させるときのその意思は善意とかいまこの世にある言葉で括れない気がして、ずっと名前をつけないままそこに漂わせておこうと思う。裏参道ほのやかな文章。