回線が不安定で、日記の編集ページを開くのに数十秒かかる。もうローカルで書こうと決めて、Obsidian というメモアプリを使いはじめた。
Kindle のメモとハイライトを取り込んだり、読書メモを書いたりしている。とてもよい。

稲垣 諭『やさしいがつづかない』

職場との往復だけで一日が終わる生活が続き、人にやさしくできなかったので読んだ。そもそもやさしい "は" つづかないものだ、という話からはじまる。
やさしさには段階があり、「やさしくする」のあとに「やさしくしたあとの責任を引き受ける」フェーズがある。
一度きりならやさしくできても、毎日同じ人に繰り返しやさしくできるか?と想像してみたら、無理だ…となった。
マザテレ(マザー・テレサ)も、やさしくなれないことに悩んでいたというエピソードもよかった。
人にやさしくする余裕をとりもどすために、ひとりでぼーっとする、というメソッドがおすすめされていた。
一日のどこかで、10分でも20分でもいいので、ひとりになって、スマホをおいて、テレビを消して、何にもコントロールされないあなたの時間を体験してみてください。そういう時間を取れるということが、あなたに時間的余裕があることを証明することにもなります。
(中略)
もしかすると、どう過ごしていいかわからず、不安になったり、焦りも出てくるかもしれません。しかしそれでもいいのです。
むしろそのときにだけ、私たちは、そういう心の動きが自分の中に起こってくるのを、そのまま直に体験することができます。その時間は、あなたの注意や思考がスマホやテレビなどに奪われることなく、自分自身にだけ向けられているときです。最近、忙しすぎたなとか、肌が乾燥して荒れているなとか、自分にやさしくできていたかを振り返ることができる時間でもあります。
—『やさしいがつづかない』稲垣 諭 著
熊代亨『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』

仕事をしていれば、結婚していれば、子どもがいれば「大人」なのかというと、そうでもないように思う。
「大人」の条件のひとつとして「世代や立場が違う人に、その違いをふまえて対応すること」を挙げているのがよかった。
電車のなかで誰かに席を譲る行為も、コンビニで何かを買う行為も、大局的に見れば他人の行いと関連し合っていて、未来を作っていくのです。そういう小さなものの積み重なりによって、個人の歴史もみんなの歴史もできています。
この観点で見れば、独りで無意味に生きているように見える人でも無意味には程遠いということになります。誰とも深い関係を持たず目立たないように生きている人でも、たとえば他人に配慮しながら生きているなら、あるいは犯罪に走ってしまうのを堪えて生きているなら、それはそれで、その人なりに「因縁」のなかで最善を尽くしていると言えます。
—『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』熊代亨 著
今月いっぱいで今の職場をやめることになり、少し余裕が戻ってきた気がする。春が楽しみだ。