岩内章太郎『〈私〉を取り戻す哲学』

ure
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公開:2026/4/14

2年前に読んだ本を読みなおした。前はむずかしくてちゃんと読めなかったけど、やっと読めた。

できるだけおだやかに暮らしたいけど、そうもできないときがある。そういうときのために、ままならないものを受け入れる力がいるなあと思う。

すべてを意のままに操れるようになればなるほど、〈私〉と〈私〉がつくりだす人間関係のリアリティはかえって薄れていく。

自分が思い通りにできないもの、そんなどうにもならないデフォルトと手を組め。これが本書の大まかな見取り図である。

—『〈私〉を取り戻す哲学』岩内章太郎 著

スマホの画面の中では、ほとんどすべてが思い通りになる。気に入らないものはミュートできる。自分の好みに合った情報だけが流れてくる。

そのうえ、SNS やメタバースでは自分自身もデザインできる。自分の見せたいところだけを見せられる。その結果、「デザインされた私」同士が消費し合うループに入りやすくなる。

このループが続くと、自分以外の「他者」や「世界」が存在しているという手ごたえが失われていく。思い通りにならない現実の身体や、予測できない他者の存在が、自分にとって受け入れがたいものとして知覚されるようになる。

人間であれば、誰しも嫌なことや面倒なことは避けたい。不快なものを遠ざけようとする衝迫は、すべての生き物が共有する本能的な欲求である、とさえ言えるのかもしれない。ところが、〈私〉と他者の間に生じる人間関係上の抵抗や摩擦を敬遠しすぎると、今度は、他者とのつながりをうまく感じられなくなる。〈私〉の思い通りになる他者は、すでに他者とは言えないからだ。

—『〈私〉を取り戻す哲学』岩内章太郎 著

思い通りにならないものを受け入れがたく感じるとき、人はその状態を早く終わらせようとする。でも、世の中にはすぐに答えが出ない問題がたくさんある。思い通りになる環境にいると、この曖昧さと向き合う機会が減っていく。

思い通りになる環境では、予測が外れることがない。だから、外れたときにどうするかを学ぶ機会もない。思い通りにならない環境では、予測は何度も外れる。そのたびに脳は修正を重ねていく。やがて、予測が外れること自体を前提として受け入れるようになる。

予測が外れるということは、自分以外の何かが存在していることの証明でもある。それを前提にできると、他者や世界が存在しているという手ごたえが戻ってくる。

自分の輪郭も、他者とのつながりも、思い通りにならないものの中にある。そう考えると、ネコが毎日夜中に暴れまわるせいで寝不足になっていることも、生きている実感を与えてくれるものとして受け入れられるかもしれない。ねむい。

@ure
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