この記事は『哲学用語図鑑 完全版』をもとにした個人的な解釈メモです。正確な情報はご自身で確認されることをおすすめします。
フランシス・ベーコン(16-17世紀)
宗教改革によって、哲学は「教会の正しさを証明するための道具」ではなくなり、「人間が自然をコントロールするための有効な知恵」を探る学問となった。
ベーコンは、観察を歪める4つの偏見「イドラ」を自覚し、事実を積み上げて法則を導き出す「帰納法」を提唱した。
ルネ・デカルト(17世紀)
デカルトは、ガリレオが地動説で有罪判決を受けたというニュースを聞いて、執筆中だった物理学書『世界論』の出版を取りやめた。この本には「神がいなくても世界は数学的に勝手に回る」というようなことが書かれていた。
その後、デカルトは匿名で『方法序説』を出版する。「神が正解を決める世界」から「自分の理性で考える世界」へ乗りかえる方法について書かれた本だった。また、教会の目を避けながら自分の科学的な考えを仮説というかたちで忍び込ませてもいた。
デカルトは、身分に関係なく、人間であれば誰でも論理的に考える力を等しく持っていると考えた。だからこの本は、学者だけでなく一般の人にも読めるよう、フランス語で書かれた。
心身二元論
デカルトは精神と物質を、完全に別の領域として切り離した。
「魂には手を出しません」と宣言して、教会との衝突を避ける。その代わり、身体や自然を「魂のない機械」と定義し、自由に研究できる場所にした。これが近代科学の土台になった。
我思う、ゆえに我あり
教会という「外部の正しさ」が壊れたとき、手元に残ったのは自分の意識だけだった。デカルトはその意識の中身もすべて疑った。見ているものは幻かもしれない。感じていることも嘘かもしれない。
だが、すべてを疑ったとしても、「疑っている何かがここにある」ということだけは否定できない。疑うという行為の起点には必ず「我」がいる。「我思う、ゆえに我あり」なの
私たちは、「私」が考えるより前からすでにあると感じる。だがデカルトの「我」は、考えているその瞬間にだけ成り立つ。考えることをやめたら、「私」は消える。
デカルトはこの一点だけを、新しい世界の土台にした。真理は、外ではなく内側にある。こうして「真理のありか」は、神や教会から、個人の理性へと移った。
バールーフ・デ・スピノザ(17世紀)
デカルトは精神と物質を分けた。だとすれば、そのふたつはどこでつながっているのか。スピノザはこう答えた。「最初から分かれていなかった」
彼はアムステルダムのユダヤ人家庭に生まれた。20代のとき、ユダヤ教会から破門された。破門の理由は記録に残っていないが、神についての異端的な考えが原因だったとされる。その後はレンズ磨きで生計を立てながら、ひたすら哲学書を書き続けた。
スピノザは生前、主著『エチカ』の出版を諦めた。出版すれば禁書になると分かっていたからだ。死後に友人たちが出版し、予想通りすぐに禁書となった。
エチカ(倫理学)
スピノザは、人間の感情や道徳を、図形の証明と同じように分析した。定義、公理、定理という数学の形式で解体していった。
彼にとって、怒りや悲しみは、雨が降ることや、石が坂を転がることと変わらない。自然の法則に従って起きているだけだ。
あらゆるものには「自分の存在にしがみつこうとする力」がある。スピノザはこれを「コナトゥス」と呼んだ。人間もまた、このコナトゥスに突き動かされている。けれど自分を動かしている原因は見えない。だから「自分で決めた」という感覚が生まれるが、それは錯覚だ。投げられた石が「自分の意志で飛んでいる」と思い込んでいるようなものだ。
ただし、動かされているからといって、何もできないわけではない。自分がなぜそう感じるのか、その原因を特定することはできる。原因がわかれば、感情に飲み込まれている状態から抜け出せる。スピノザはこれを、受動から能動への移行と呼んだ。
能動の側に立つとは、世界を善悪ではなく必然として見るということだ。スピノザが「自由」と呼んだのは、そういう静かな状態のことだった。
デイヴィッド・ヒューム(18世紀)
ヒュームは、スコットランドの哲学者であり、徹底した疑いの人だった。
理性は信頼できる。論理は正しい。世界には秩序がある。その前提を、ヒュームはひとつずつ崩していった。
印象と観念
ヒュームは、人間の知識はすべて経験から来ると考えた。
直接体験した鮮烈な衝撃を印象と呼び、その記憶を観念と呼ぶ。一度も赤を見たことがない人は、赤を想像できない。経験の範囲外にあるものは、思考の対象にすらならない。
理性は印象と観念を組み合わせ、整理する。だが、それ自体を生み出すことはできない。
因果関係
ビリヤードの球が別の球に当たり、球が動く。私たちは自然と「衝突したから動いた」と受け取る。
しかし、実際に見たのは、二つの出来事が順番に起きたという事実だけだ。「次も同じことが起きる」という確信は、論理的な証明ではなく、繰り返しの経験が生んだ習慣のようなものだ。
因果関係の裏にある必然性を、理性は証明できない。見えているのは、いつもセットで起きているという事実だけだ。
理性と情念
デカルトは「人間は理性で動く」と考えた。ヒュームはそれを逆転させた。
誰かを助けたい、何かが欲しい。こうした心の動きを、ヒュームは「情念」と呼んだ。情念が先に動き、理性はあとから理由をくっつける。
善悪の判断も同じように、理屈で「悪い」と導き出すのではなく、心が「不快だ」と感じるから、それを悪いと定義する。道徳の根っこは、私たちの生身の反応にある。
情念が目的を決め、理性はその手段として動く。ヒュームが見ていたのは、そういう構造だった。
人工的な徳(artificial virtues)
思いやりや優しさのように自然にわいてくる感情を「自然な徳」、正義や約束を守ることのように社会のなかで作り上げられたルールを「人工的な徳」。ヒュームはこのふたつを分けて考えた。
たとえば、困っている人を見て、思わず手を貸したくなる。これは「自然な徳」のほうだ。「借りたものは返す」「列に横入りしない」といったルールは「人工的な徳」にあたる。
自然な徳は、目の前の相手への共感で動く。人工的な徳は、見知らぬ人も含めた社会全体の安定のために動く。
もし社会が自然な徳だけで回っていたら、共感の届く範囲だけが「社会」になる。身近な人には優しいけれど、それ以外には冷たい。しかし現実の社会は、共感の届かない人同士が関わることで成り立っている。そこで、自分の感情をいったん脇に置いて、共通のルールに従うという仕組みが回り始めた。
1回ごとの損得で見れば、ルールを守るのは損に見えるかもしれない。でも、みんながそのルールを当たり前として共有していると、社会の動きが読めるようになる。ルールに従う人が増えるほど全体が安定して、その安定がひとりひとりの利益として返ってくる。
人工的な徳は、正しさでも優しさでもなく、社会を回すための仕組みにほかならない。
ヒュームは、理性にできることをとことん削ぎ落とした。
因果関係は習慣にすぎず、道徳は情念にすぎない。では、数学や科学が持つあの確かさは、いったいどこから来ているのか。この問いは、ヒューム自身が答えることなく、次の時代に持ち越された。