この記事は『哲学用語図鑑 完全版』をヒントに、自分なりに調べたことや解釈をまとめたメモです。正確な定義を知りたい方は、ぜひ本書を手に取ってみてください。
ソクラテス → プラトン
ソクラテスは、問答を繰り返すことで人々の思い込みを暴いていた。しかし、価値観を解体されることを嫌った人々の手によって死刑に追い込まれた。それを見た弟子のプラトンは、無知な大衆同士での対話では限界があると悟った。そこで、民衆同士で考えるのではなく、教育システムと哲人王(もっとも思考を極めた者)による統治が必要だと考えた。
プラトン → アリストテレス
アリストテレスは、プラトンが唱えたイデア論(現実世界とは別に、永遠で完全なイデアの世界があるという考え)に疑問を持った。
そこで、アリストテレスは、世界の成り立ちを理解するために学問を分類した。
「シカのツノは何からできているか」「何のための機能なのか」のような具体的な観察を扱う自然学、「ツノの枝分かれの数や曲線の角度」など、物質的な部分を除去し、形や数・量の法則だけを抽出して扱う数学、そして「そもそもツノが "ある" とはどういうことか」のような根本原理を扱う形而上学に分けた。
さらに、著書『自然学』の中で「自然界の多くの現象、特に生き物の器官や行動には目的がある」という世界観(目的論)を打ち立てた。
ヘレニズム時代へ
古代ギリシアは、ポリスと呼ばれる都市国家のような小さな共同体に分かれていた。けれども、アレクサンドロス大王が帝国を築いたことでポリスはしだいに解体されていった。こうしてギリシア人の関心は「よりよい共同体を維持すること」から「いかにして心の平穏を取り戻すか」に移っていった。
このときの主な思想は、理性で感情の動揺をおさえて生きるストア派と、生活環境・欲望の選択で苦痛を最小化しようとするエピクロス派があった。
アリストテレスの教え子であったマケドニアのアレクサンドロス大王は、東方遠征によってギリシア哲学の言葉(ギリシア語)を世界中に広めた。その後、ローマ帝国がこの文化基盤を引き継いだ。
一方、ユダヤ教を母体として生まれたキリスト教は、ローマ帝国の広い領土とギリシア語という共通語を足がかりにして、帝国全土へと広まっていった。