映画

漣田あわい
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公開:2024/12/15

気持ちを静寂に沈めたいときがある。

そんなときは大抵鬱映画と呼ばれているものに手を出すんだけれど、今回観た映画は鬱とは別に考えさせられるものだった。

子宮に沈める

約10年前の映画だと言うのに現実問題と照らし合わせてみても10年前の少し古い映画…とは言い切れない。人間の理性と本能の間に近しいところを描いていると思った。

たった1人で2人の幼児を育てていかなければいけない圧力の前にあらわれる現実逃避の快楽は人を簡単に落としていくし、落ちていったら戻ることが難しい。

子どもは何も分からないから、見聞きしたことを真似て学んでいく。だから、長女が弟の腹部に口を寄せるシーンが個人的に生々しくてグロテスクな描写だった。どうしてそう感じたのか深く掘ってみれば、性的なちいさいトラウマが私にもあったのだと自分に気づいてあげる糸口になった。

印象に残ったシーン、他にも色々あったけれど端折ります。呟きに残してあったこれだけ記録しておこうかな。

映画の中にでてくる編み物用の赤い糸。運命の赤い糸なんて言うけれど、さまざまな環境要因に置かれていた彼女達の結末はそうなってしまうことを定められているかのようで、ただただ侘しい気持ちが胸の上で重しになった。

この映画は幼少期に家庭環境由来のトラウマを抱える人ほど、彼女達が置かれている状況が理解できてしまうんじゃないだろうか。

子ども達が置かれている環境の理解だけじゃなくて、母親の置かれている環境と底のない飢餓孤独感も。

この映画は実際にあった事件が礎になっていると聞いたけれど、数々のトラウマによって自分の足で立つことさえままならなくなってしまった人たちっていると思う。自分自身と真に向き合うことって海の中より息苦しい。だから、諦観の方向から逃避に向かってしまったり、自傷に向かってしまったりする。然るべき助けや情報にアクセスできない層もきっといる。

ここのところ自助努力と言う言葉を耳にする機会が増えた。聞き齧った福祉の話で、最終的には本人の自助努力が必要になってくるらしい。自分が自身と向き合って正しく気がつく過程が必要だと思う。けれど、散々傷ついたそう言う人たちにとっては気が遠くなるほど過酷な試練だ。

大事だと思うのは、自分を知ること、社会を知ること、そして助けを知ること。

自分自身が自分を見放してしまわないように、ネグレクト状態だったあの頃の私を見捨てないために。

話がとっ散らかってしまったけれど、この辺りで締める。

@uroine
人生って迂路迂路してなんぼ