8時半に目が覚める。ひとまずプロテインを飲んで、洗濯物を回す。精神の調子はいいものの、昨日の朝にアレルギー薬を飲み忘れたためくしゃみと鼻水が出る。
手帳を確認していたら、図書館への本の返却期限が明日なことに気づく。まだ読んでいない本が二冊あるので、今日は本を読む日にしようと思う。流しを片付けて洗濯物を干したのちに星泉・三浦順子・海老原志穂編訳『チベット幻想奇譚』に手をつける。

今日のお昼。夫が作ってくれた豚のコーラ煮、炒り卵、つるむらさきのお浸し、蒸しなす、なすの味噌炒め、きゅうりの佃煮、山椒ちりめんとご飯、蒸しなすとわかめを加えたかんたん味噌汁。おいしかった。
ご飯を食べながらNHKプラスで配信されている「365日の献立日記」と「グレーテルのかまど」を見る。「グレーテルのかまど」で、ヘンゼル(演・瀬戸康史)が食パンにバターを塗ったのち砂糖をジャリジャリにかけていてよかった。
最近とくに運動不足で、鏡をみたところ自分の鎖骨がぼんやりと薄れていることに気がついた。あまりのショックさに流石に運動をせねば、と思い、実家のエアロバイクを20分ほど漕いだ。せめて1週間は続けていきたい。
星泉・三浦順子・海老原志穂編訳『チベット幻想奇譚』を読み終える。
幻想小説の短編集で、収録作はツェリン・ノルブ「人殺し」、ツェラン・トンドゥブ「カタカタカタ」「神降ろしは悪魔憑き」、タクブンジャ「三代の夢」、リクデン・ジャンツォ「赤髪の怨霊」、パマ・ツェテン「屍鬼物語・銃」、エ・ニマ・ツェリン「閻魔への訴え」「犬になった男」、ランダ「羊のひとりごと」「一脚鬼カント」、ゴメ・ツェラン・タシ「一九八六年の雨合羽」、レーコル「子猫の足跡」、ツェワン・ナムジャ「ごみ」の13作。
読んだ中で好きだったのは「人殺し」「屍鬼物語・銃」「一九八六年の雨合羽」。特に「屍鬼物語・銃」は墓場から運ばれるのを嫌がる死体が運び手の若者に物語を聞かせ、若者が口を聞いてしまうと墓場まで死体が戻るという、一風変わった千夜一夜物語のようで面白かった。
また、文化の違いを感じ取れる文章も多かった。好みだったり、気になった文章をいくつか引用したい。
「食事中に絶え間なく動く、鳳凰の翼みたいな口ひげは忘れられそうにない。(p.40)」
「妻は寝床を整えながら、昨晩枕を小さくしすぎて頭が床についてしまったのを思い出し、枕の幅を広くした。(p.40)」
「カワウソの皮の縁取りを施した真新しい毛織の着物をまとい、赤と黄の花飾りのついた萌黄色の礼帽をかぶった彼女は光り輝いている。(p.50)」
星泉・三浦順子・海老原志穂編訳『チベット幻想奇譚』タクブンジャ「三代の夢」より
「絶え間なく動く、鳳凰の翼みたいな口ひげ」とはいったいどんなものなのだろうと、妙に想像をめぐらせたくなる文章だ。また、次の文章の「枕を小さくしすぎて頭が床についてしまった」というのも不思議だった。枕の大きさは可変なのだろうか。素材は一体何なのだろうか。最後の文章では「カワウソの皮」が高級品として登場している。他の短編でもカワウソの皮は高級品として登場していた。また、豹皮も同じような扱いで登場している。
「あの日ら涼やかな南風がゆったりと吹いていて、立ち並ぶ木々にはトルコ石色の葉がきらきらと輝いていた。(p.121)」
星泉・三浦順子・海老原志穂編訳『チベット幻想奇譚』ランダ「羊のひとりごと」より
「トルコ石色の葉」というのはどういうことだろう。本当に青々とした葉なのだろうか。それとも比喩なのだろうか。後者の方が可能性は高いだろうけど、何だか気になる、素敵な表現だ。
「村落の中で特定の家だけが裕福になり、経済的な不均衡が生じた際などに、この鬼が憑いていると見なされる。(p.265)」
星泉・三浦順子・海老原志穂編訳『チベット幻想奇譚』「Ⅲ 現実と非現実のあいだ 解説」より
この文章は「一脚鬼カント」の解説に記述されていたもの。「この鬼」というのは一脚鬼カントのことを指している。
日本でも村落の中である家だけが裕福になると「この家は〇〇憑きだ」と憑物筋のせいにしていたと聞いたことがある。狐憑きや犬神憑き、広く捉えると座敷童も確か憑物筋に入った記憶がある。チベットと日本は離れているのに、同じような思考が芽生えているのだなと思い、なんだか面白かった。
風景を「白茶けた」と表現していたり、ツァンパという大麦を煎って引いた粉や、その粉にバターを合わせたお供物などが何回か登場した。チベットでは大麦が主要かつ重要な食べ物だったのだろうか。

秋になると空が綺麗でうれしい。夕方になると気温が下がり、幾分か涼しくなってきた。今日は中秋の名月らしいので、夜に月を眺めながらお散歩をしたい。