8時に目が覚める。最近は10時過ぎまで眠っていたりと、なかなか朝起きれない日が続いていたのでうれしい。自分の起きる時間がはやくなってくると、春が近いのだな、と思う。
着替えて流しを片付け、お湯を沸かす。昨日実家に寄った際に、鯵のなめろうをもらった。朝ごはんはこの鯵のなめろうに生姜を足して、白だしとお湯をかけてお茶漬けのようにして食べた。みょうががしゃきしゃきしておいしい。
今日は特に出かける予定もなかったので、本を読むことにした。図書館に行ったばかりなので読む本はたくさんある。図書館に行かなくとも積んでいる本はあるのだけれど、返却期限という強制力がほしくて、また自分では手を出しにくいハードカバーやソフトカバーの大きい本を気兼ねなく読めるのがうれしくて、借りに行ってしまう。今は『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『うたうおばけ』『醤油・味噌・酢はすごい』『世界の奇食の歴史』『パッキパキ北京』『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』『路上のセンス・オブ・ワンダーと遥かなるそこらへんの旅』『考古学者が発掘調査をしていたら怖い目にあった話』の8冊を借りている。
ジャブではないけれど、気軽に読めそうなくどうれいんの『うたうおばけ』から手にとった。いきなり暖かくなったからか花粉症で鼻と目と頭がぼーっとしていて、なかなか文章が入ってこない。BGM代わりに燈花ふゆさんの積読配信を流す。音があることでほどよく文章が頭に入ってきた。この動画の中で梨木香歩のエッセイ『春になったら莓を摘みに』が挙げられていた。高校の、校外学習で電車か何かに乗っているときに読んだ記憶がある。もしかしたら修学旅行だったのかも。古い英語の表記が出てきて、それを英語の先生に訊ねに行ったことを覚えている。それなのに他の内容は全く思い出せない。思い出したときに眺められるように、実家から探しておきたい。
『うたうおばけ』を読んでいて、やっぱりすてきな言語センスだな、と思う。ふくよかな笑いが出るだとか、ぱたぱたと泣くだとか。作中に「ぼた雪の降る様子を「もっつもっつ」とあらわす方言があるので岩手に住んでいてよかった。」という文章があって、確かにぼた雪はもっつもっつが一番しっくりくるかもしれないな、と妙に納得していた。ちなみにご飯を食べる擬音は岩手では「むったむった」らしい。これはわたしの口が小さいからかもしれないけれど「もくもく」という音の方が馴染む。ちなみに、わたしの好きな地元の方言に「たごまる」というのがある。長袖の上に長袖を重ね着したときに、中の洋服が縮まりずり上がってしまうことを指す。「たごまる」がない地方の人は、このことをどう表現しているのかがずっと気になっている。
また、文章に(笑)をつける人と、「…」のことを「、、、」「。。。」と表現する人とは仲良くなれそうにない、という内容もあった。文章表記で人を判断するのはよくないとわかりつつ、なんとなく受け入れられないところにひどく共感してしまった。昔、「いちおう」のことを「いちよう」と書く人が受け入れられなくてTwitterでブロックしてしまったことを思い出した。正しい言葉が「いちおう」なのを知っていながら、「いちよう」を使い続けるようすが理解できなくて、怖かったのだ。
お昼ごはんにはトーストに貰い物のクリームチーズを塗ったものと、くきたちのおひたしを食べた。「くきたちのおひたし」ってなんとなく口に出してみたくなる言葉かもしれない。おひたしは菜の花みたいな少しほろ苦い風味とみずみずしさがあって、花粉症による口呼吸で乾いた口の中に染み渡った。クリームチーズをトーストの上で塗り広げようとするがなかなか広がらず、無理に伸ばそうとするとパンくずがあたりに散らばってしまった。やっとの思いでトーストを齧ると、今までにあまり食べたことのない味がする。おいしい。トーストにクリームチーズを塗るだけでこんなにおいしいのか、と感動してしまった。普通のチーズより味が濃くないのに生クリームみたいな脂肪の風味があって、くどくない。やわらかくて、真っ白すぎなくて、春という季節にぴったりな食べものな気がしてよりうれしかった。