9時過ぎに目が覚めた。眠ったのは11時過ぎだったので、10時間ほど眠っていた。ごみをまとめて捨てに行くと、寒いけれど晴れていて、風もあまりなかった。近所の公園に出向き、梅がほころびるのを見つつ祖父から貰ったパンを食べた。甘納豆とマーガリンが入っているパンで、甘くてぱさぱさしている。飲み物を持ってくればよかったと後悔した。食べているときはあまりおいしく感じないのだけれど、食べ終えたときの口の中に残る風味がおいしい不思議なパンだった。温めて牛乳と食べるとよりおいしいのかも。公園で本を読みたかったが、気温が低いので部屋で読むことにした。
先日、くどうれいん『虎のたましい人魚の涙』を読み終えた。前に読んだ同じ著者の本が『桃を煮るひと』で、そちらは食べものについてのエッセイが多かった。今回も食べものについてなのかなと思っていたら生活についてのエッセイが多く、裏切られた気持ちになった。自分勝手だ。それでも内容は面白かった。特にすいちゃんという友人が出てくる「耳朶の紫式部」というエッセイが良かった。著者の酔って痛そうなほど赤くなった耳のことを「光っている」と表現するすいちゃんの感性が好きだ。また、一緒に行った割烹に出てくる料理が「肉厚な湯葉、蒸した蕎麦の実のとろろあんかけ、かますの焼いたの、ちいさな鴨鍋、無花果の糠漬け」など、想像できるところとできないところの境にいる、ぎりぎり現実味を保っている空想上の食べものみたいで良い。どんな味がするのだろうか。特に無花果の糠漬けなんて、無花果も糠漬けも想像できるけれど、合体したところは想像がつかない。その後のバーでもカカオと山椒のセミフレッドが出てくる。この食べものも気になる。
おいしい文藝シリーズ『つやつや、ごはん』も読み終えた。使われている紙が、実際の米袋を想起させる紙質でかわいらしかった。基本的においしい文章を想定して読んでいるので、ひもじい文章やまずかった文章を読むと気持ちが萎えてしまうのだが、幅を持たせるためか、おいしい文藝シリーズにはそういったものが少なからず含まれている気がする。古い文章も多く、著者の価値観が合わないものも多い。東海林さだおの「丼一杯おかず無し‼︎」では「ゴハンをおしゃもじでよそうのって、なんだか気恥ずかしいというか、なまめかしいというか、あだっぽいようなところがあって、よそっているうちに、(あの人のために、こうしてよそっているわたし)なんてことを思ってしまって、いつのまにか小指が立っている、というようなところがありますね。」と語られていて、食と性についての関連や生活感についてのなまめかしさならともかく、この文章だと普段人のためにごはんをよそっている人を小馬鹿にしているように感じて腹が立った。嵐山光三郎の「ごはんの力」では「ホームに炊きたてのごはんをはこび、オカーチャンやオネーチャンが自ら握ったおむすびを売る。」の、「オカーチャン」「オネーチャン」という人をみくびっているような言葉の選び方や「自ら」と強調しているところが、家事は女が行って当たり前という言外の圧力や家庭の味への幻想が透けて見えて嫌だった。鴨井洋子「南仏のバカンスの味のするリゾット」でも、著者が東京に住むフランス人の家に招かれるのだが、その人の料理に対して「バタくさい」や言葉に対して「偽古文」「そんな言葉を知っているのか」などと思ったりしていて、その人を目下に見ている感じが受け入れられなかった。
もちろん良い文章も沢山あった。ねじめ正一「米──もちもちで夢ごこち」には「米の匂いというのは首の後ろ側が気持ちよくなる。酒の匂いのようにつんとくるわけでもなく、すうっと入ってくる。」という文章が出てくる。味の感じる部位は、けっこう舌の先のほうとか奥のほうとか色々あると感じているけれど(苦さや酸っぱさは舌の奥のへりのほうだと思っていて、このあたりを刺激される味が苦手)匂いを感じる部位については考えたことがなかった。でも、確かにお米の匂いは首の後ろ側かもしれない。広がりのある感じ。酒井順子「最後のごはん」では「糠漬けにはほんの少しうまみ調味料をふりかけて、お醤油をちょろっと垂らす」という食べ方が登場する。おいしそうなので実際にやってみたいが、家に糠漬けもうまみ調味料もないのが残念だ。平松洋子の「米にも鮮度はある」では、家庭用精米器に感動する様が描かれるのだが、糠の使い道に途方に暮れているのが人間味を感じられてよかった。特に面白かったのが池澤夏樹「新ライス料理」と、伊藤比呂美「ちがう、これじゃない」。「新ライス料理」ではロコモコに対して「グレービーを断って醤油で食べるともっとうまい」だとか(気になる!)チリ・ペッパーのことを「日向くさくてあまり辛くない唐辛子」、タコスのことを「トウモロコシの粉で作った薄いお焼き」と表現しているところが面白い。言葉の組み合わせがいい。「ちがう、これじゃない」では、旅先で「ちがうなー」と思う食べものに出会うことこそが旅の醍醐味としている著者が、さまざまな「ちがうなー」と思った食べものを羅列している。「ワルシャワの安食堂で食べた、そばの実入りの血のソーセージ。ワルシャワ大学のカフェテリアで食べた、りんご入りの豚の脂をぬったライ麦パン。ポーランドの山の保養地の露天バザールで買った、手榴弾みたいな羊乳のチーズ。ポーランド人の友達の家で食べた、臓物のシチュー。」想像がつかない食べものばかりでわくわくする。
この本を読みはじめたとき、どうしてもお腹が空いていてご飯を炊いた。炊きたての、白くて柔らかいごはんをラップにのせて、山椒入りの昆布をのせて、おにぎりにして食べながら読んだ。最近食べたものの中で、ほたるいかと並んでおいしかったかもしれない。