以前行っていた検査の結果が出た。心理検査はMMPIというものと、ADHDに関する検査だった。ADHDの方はどの項目も高く出なかったらしい。MMPIの方は「自尊心や自己肯定感が低い」「自分を信用できないために他人も信用できない」「他人と比較しやすく、落ち込みやすい」「自信がないため人との関わりを避ける」「人の顔色を窺う」「自分が病気であると思いやすい」のような傾向があると出たらしい。
先生に、この結果についてどう思いますか?と尋ねられてたじろいだ。結果は結果であって、そこにわたしの意見や感想が介入する余地はないのではないか。しいていうなら、「自分を信用できない」はまさにその通りだと思った。数年ごとに考えも変わってしまうし、やろうと思ったことを先延ばしするし自分との約束は守ってくれないし、軸がないと感じる。自分のことが一番信用できない。
知能検査では全IQが122、言語性IQが123、動作性IQが115だったらしい。先生から「この世界を認識する能力は優秀で、この世界のことわりについて考えることができる」という旨のことを言われる。大仰な言い方ですこしおかしくなる。ただ、「認識する能力は十分にあるけれど、エンジンである情緒の方が安定していない」とも言われる。この情緒を安定させる方向に向かえばいいらしい。でも情緒が安定してしまったら、それはわたしであり続けられるのだろうか。
検査をふまえて、IQの大きな差もなく発達障害の可能性は低そうとのこと。IQが比較的高く自己肯定感が低いひとが自己を抑圧した結果、過食や拒食に走るケースがあるらしく、そのひとたちの精神の傾向に似ているかもしれないとのこと。また、自己肯定感が自然に低くなることはあまり多くなく、幼少期の家庭環境に原因があるかもしれない、とのことだった。
確かにわたしと母は共依存気味であるし、父は浮気で中学生の頃に離婚している。何かされたと思い返されるのは母のことばかりで、これを先生に伝えていくとなると母が糾弾されるようでつらい。わたしの内側には母と弟との境界が溶けているように感じる。つまり、母が糾弾されることはわたしが糾弾されることとほぼ同じに感じてしまう。
後日、摂食障害に関する精神性について調べた。境界性パーソナリティ障害についての記事がヒットしたので、次の検査はパーソナリティ障害に関するものかもしれない。個人的な興味で簡易的なネットの検査をしたところ、回避性パーソナリティ障害に関する項目が高かった。かなり当てはまっている気がするが、病院で受けるものではないので占い程度に考えることにした。
自分の特性を理解して生きやすくなりたいけれど、この苦しみを失ってしまったものは自分なのかと不安になる。また、そこまでして社会に迎合する意味とは何なのかと考えてしまう。これからの通院で、自分の特性の理解や御しかたの解明など、なにかしらいい方向に向かうことを祈っている。