昨日は寝付けなかったからか、朝10時まで眠っていた。なんとか起きたけれどまだ眠い。
メロンを食べた。はちみつみたいな匂いと、それに違わぬ甘さ。中身があざやかな山吹色のタイプで、瑞々しいを通り越してメロンの露を飲んでいるようだった。皮の際まで甘く、前歯でこそげるようにして食べた。まだ冷蔵庫に半分残っている。食べるのが楽しみ。
夫がきれいな石を拾ってきてくれた。砂岩か泥岩なのだろうか。縞模様がくっきりしていてかわいい。触り心地もなめらかで、若干色の濃い部分が出っ張っている。ここまできれいな縞模様はあまり見ないのでうれしい。
東畑開人『心はどこへ消えた?』を読んだ。個人主義が進んだことにより個人が引き受けるリスクが増え、リスクを避けるためにも効率や正論が力を得ていった結果、心が存在する余白の部分がなくなってしまったのではないか、コロナ禍での心のあり方から、心はどこにあるのかというテーマになっていった週刊連載をまとめた本。以前読んだ同じ著者の『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』と語られるエピソードやテーマは似通っているし、語り口も『なんでも見つかる夜に〜』の方が好き。こちらは変に楽しませようとしてる感覚があって、それが肌に合わない。でもすごく面白くないというほどでもないけれど、二度は読まないかな、という本。
読み終えたとき、なんだか自分の心に向き合わなければならないような居心地の悪さを感じたり、自分の心の皮膚がふやけてやわらかくなって、なんにでも傷ついてしまいそうな感覚がした。自分の考えを言語化することは得意だし好きだけれど、自分の心に向き合うことは痛みを伴うから、どうにも苦手なのかもしれない。
これはおやつに食べたカステラ。ザラメがうれしい。
今日も短歌を作った。けっこうお気に入りかも。
・隣室の子どもサンダル ぴぷぴぷぴ つづく足音知らぬ愛しさ
国内のキーウィが1匹だけになってしまったらしい。先日、友人が「大阪に行こう、一緒にキーウィを見よう」と言ってくれた直後のことだった。ラッコも国内3頭だし、クラカケアザラシも亡くなってしまったし、そのうち日本では見られなくなる動物がたくさんいるんだろうな。同じ大阪の天王寺動物園というところで国内最後のキーウィが飼育されているらしいので、生きているうちに見に行きたい。
キーウィで思い出されるゲームがある。「がんばれ森川君2号」だ。卵形のガンダムみたいなロボットに、物を触らせたりして反応を学習させ、マップをクリアしていくゲームだ。マップがクリアできないと勝手に家に帰ろうとしたりと、なかなかわがままなロボットが主人公だ。プレイステーションのゲームなだけあって、ローポリかつレトロでなかなかかわいい世界観なのだけれど、登場キャラクターの中にキーウィがいる。茶色い楕円、それこそキウイにくちばしと足だけ生やしたような造形だ。ゲーム内では、このキーウィに対しても行動を起こすことができて、叩いたり(!)吸ったり(!!)することができる。見た目は覚えているのに、なんのために存在していたキャラクターなのか、一切覚えていない。マップに関連していたのだろうか。必要性なんてなくて、ただかわいいから配置された存在だったのかもしれない。
明日は友人と遊ぶ予定が入っている。たのしみ!