フランク・ロイド・ライト展
まあまあすごい雪の日、阿佐ヶ谷でジエノゲストをもらってから(10月の子宮頸がん検診の結果は陰性だった)、汐留のパナソニック美術館へ向かった。
・お金がなく学校行ってないのに建築事務所に潜り込み、大学へ。そういうやり方もあるのかと思ったけど、時代が時代だからかなあ?(100年以上前。)小津安二郎や黒澤明も今で言う高卒レベル?なのにあんなに教養があるし。安藤忠雄も独学か。
・Shikataganaiの衝撃(関東大震災)
ライトが当時びっくりした、日本人の災害への態度(言葉)。
→私も衝撃というか、ライトが書き留めるほど、日本人は昔から変わってないんだ。このマインド(諦念)は日本人を縛り続ける。だから衰退し続けてるのでは?
・気持ちいい悪夢:ぬるっとした未来都市の映像(手塚治虫感ある:昭和から見た未来)
・大バグダッド計画
→アアルトとやる予定だった。実現したら見たかった。(彼らに依頼していた王の)王政失脚により実現せず。作家性が強い建築家でもいわゆるクライアントワークだから、こういうことはよくあるのだろう。(大金がかかる映画との類似性を感じる。頓挫したプロジェクトの話を見てると。)そう考えると街全体実現した黒川紀章はすごい?(カザフスタン)。ブラジリアもいつか見にいきたい。
ライトの下で修行した日本人建築家は女性もいたが、こういう時代に高等教育が受けられ留学(渡米)までする人はもれなく金持ちという感じがする(吉野作造の娘、夫についてということですが)
・グッゲンハイム美術館に行くまで死ぬのをやめようと思った。落水荘もいいが、とにかく惹かれた。なぜ、前にニューヨークに行った時に行かなかったのかな?またニューヨーク行けっていうなんかのお告げかな?
・見たい展示だったけど、一刻も早く帰りたかった。汐留、思い出すものが多すぎる。元同僚にも会いたくない。コソコソした気持ちになる。(具体的な知り合いに会いたくもないのもあるけど、ミュージアム内にいる妙におしゃれな格好の人たちがよくない意味で気になった、建築関係の人もいるだろうが、自分が逃げ出した世界で成功したクリエイティブディレクターや気が合わないアートディレクターの世界に二度と入れないと感じるから。広告業界ではほぼ友達ができなかった。唯一同期の田舎出身の直情的なADちゃんとは仲が良くなったけど)
・スケールがでかい表現者(この場合はライト)は世界を見ている:先住民のデザイン、イスラムなど
→やっぱり文化は「(古今東西)つながってる」→なんかうれしい→自分ももっと触れたい
・久しぶりの通勤電車(私は美術展を見に行っただけで通勤に使ってはいないがその時間帯に乗った)、この文化、とてもイヤな感じだ、色味(カラー)もひどい、黒ばかり、毎日がお葬式なのか?よく10年以上もやっていたな、もう戻れないかもしれない、離れすぎた……精神安定(給料)のために戻る?
・毎日、年金生活老人たちの横にいると、脳がsoftlyになる。知的な労働に戻れるか?頭が、とにかく、ふにゃふにゃだ。リハビリしなきゃ。そのために手段として英語を勉強するのはありかもしれない。(もっとアナログに、文章をもっと書く、とかもあり。読む、も少しずつ再開したい。)
・確かに「東京の通勤電車」は何かの象徴だ、以前フリーランスを始めた理由にそれを辞めたいからという話を聞いてよくわかっていなかったけれど、今日腹落ちした、これは本当にすごい(悪い意味で)
・自転車生活にするとか、ね(どこか会社に入るにしても歩いたり自転車で通える範囲にする)
・私はお金もないのになんで意地みたいに文化的な展示を定期的にちゃんと見に行ってるのかな?(もちろん、純粋に「見たい」もあるけど。やはり「文化」に関わりたいのか?)
・ブランクある人を企業が採用しないのもわかる、まじで労働意欲が低く使い物にならないからだ、なってみてわかった
・帝国ホテルは震災でびくともしなかったけど、なんで壊したんだよ、、日本のスクラップ&ビルド文化を憎みそうになる……が、アメリカのライト建築の施設も経営難で取り壊したそうで、、経営のために仕方なかったのかな(帝国ホテルも客数増やしたく低層のライト建築から高層タワーに立て替えた、しかしその3代目建築は展示などで全く触れられてないからデザイン的に微妙な建物なのだろう)、明治村に移築しただけマシ?
・帰りに東京駅の本屋で知り合いが原作担当した漫画が売ってるのをみる、焦りはしない、やってる人は成果を出している、ただそれだけだ、私は何もやってない、これから何がやれるだろう、熱い気持ちや欲求が失われてる感じがする今
・展示の途中でひっかかったフランク・ロイド・ライトの妻たちが殺された事件を帰ってから調べる。ライトは贅沢志向で従業員に出す給料が遅れるわ何回も結婚してるわ不倫とかするわ妻(元愛人)とその連れ子と使用人が惨殺される事件があったようだ。しかも、展示の中ではクールに紹介されたタリアセン(自宅兼仕事場兼学校)で!犯人は斧で7人殺して火をつけて、建物はダメになり、再建したのだとか。本人にとってかなり大きな出来事だったろうに(しかし妻死亡後、4ヶ月くらいで次の妻に出会っている、子供も多いしだらしないというかエネルギッシュというか恋多き男だったんだな)、その情報が、展覧会全体のスタイリッシュで物静かなトーンに合わないからか、キャプションにもサラッとだし、もっとひどいのは図録で、ほとんど意図的に排除されていた。展示のメイントピックである帝国ホテル直前の出来事なのに?!ああ、だから、日本に何回も来まくったんだ(次の妻と)。アメリカでは干されてたから。建築そのものを主体にしたい意図はわかるが、ライトの波瀾万丈な人生を全く出さず、建築家の人柄を聖人みたいな印象操作してるよな、と思った。映画化するなら、オッペンハイマーよりよほど興味ある人生なんだけどな(ドキュメンタリーはあるらしい)。自分だったら、展示は人柄を切り口としたキュレーションにするかも、と妄想。ピカソが何人も妻や愛人がいたことやロマン・ポランスキーの妻殺害事件は表によく出てくるのに、ライトのこれに関しては出てこないのなんでだろう。知的な建築家を紹介したいというトーンに合わないからか。建築の方が存在が大きくて、作家の人格はあまり関係ない、という見せ方。
・浮世絵のディーラーもしてたらしい。(摘発されるまでは、という注意書き付きで。やりすぎて脱税発覚とかそういうことになったのかしら?)だからアーツアンドクラフツ運動の展示の図録でも、解説者(どっかの学者)が浮世絵浮世絵とうるさかったのか。ライトのことよく知らんとそんなん知らんのだから、もう少し詳しく書いて欲しかった。なお、アーツアンドクラフツ側の展示にはライトのことけっこう書かれてたが、ライト側の展示にはアーツアンドクラフツ運動のことはほとんど書いてなかった!(影響はあっても、批判してたんだもんね。)